アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
なんて幼稚で我儘で身勝手な感情。
それで誰かを傷つけるときっと無意識に分かっていても。
それでもあの時のあたしには、そくらいしか方法がなかったのだろう。
言葉にすることすら、していなかったくせに。
「…ごめん。その通りだ。あたしはいろいろ、順番を間違えてたみたい」
バタバタと、階段を駆け上がってくる足音。
お父さんだ。足音で分かるなんてへんなカンジ。
だけどきっとそれが、家族だということなんだ。
積み重ねていくものなんだ。
ぜんぶ0から、ひとつずつ。
それからそっと、未だ一度も触れたことのない義弟(おとうと)へ、手を伸ばす。
びくりと海里は一瞬身構え、だけど拒むことはしなかった。
きっとそれが海里なりの答えだったのだ。
本当はもうずっと。
「真魚!!」
勢いよく部屋の扉が開けられて、血相を変えたお父さんが携帯片手に飛び込んでくる。
その後から湊とお義母さんが続く。
なにやら必死の形相が、次の瞬間には部屋の中の光景に目を丸くする様は見ていてちょっとおかしかった。
真っ先に反応したのは湊だった。
「な、なにしてるのよ、お兄ちゃんに…! あ、あたしのお兄ちゃんなんだからね、あんたなんかこれっぽっちも、心配してなんか…!」
ツンデレ妹のテンプレみたいな台詞を吐くあたしのことを嫌いな妹を、ぐいとひっぱって抱き締める。海里にもそうしたように。
湊は分かり易くはじめは叫んで暴れて、だけど最後には声を上げて泣き出した。
幼稚な言葉でたくさん罵られて、そして最後にはごめんなさいと小さな謝罪。
幼い妹の過去に犯したとてもとても小さな罪を、裁く者はここには居ない。
成り行きを見守っていたお父さんとお義母さんは、頃合いを見てふたりを引き剥がし、それからあたしを病院に連行しようとしたけれど、あたしはそれを頑なに拒否した。
時間は真夜中。もう少し寝たい。
起きたら必ず行くと約束し、その夜はリビングに布団を敷いて皆で眠ることになった。
目が覚めて居なかったら困る、とお父さんは至極真面目に、真剣な表情で言う。
何故かふと思った。
むかし、お母さんが。
そうしてお父さんの前から姿を消したことがあるのだと。
だからお父さんの提案を拒めずに、ホームドラマみたいな親子川の字を体現するハメになったけれど、思ったより悪くはなかった。
ひとりで眠ることの方が慣れていたはずなのに。
湊も海里も文句を垂れながら渋々といった様子だったけれど、布団に入ればあっという間に夢に落ちる。
「心配で、眠れていなかったのよ」とお義母さんが、闇夜に優しく囁いた。
“おかあさん”の声だと、そんなことを思った。
暗い部屋にこどもの寝息。しばらくするとそれに大人も混じる。
寝息に挟まれながら見上げるリビングの天井。
小さい頃にお父さんとふざけて貼った蛍光シールがまだ残っていて、ぼんやりと明かりを残していた。
そんなこともあった。まだ残っていたんだ。
いつの間にかなかったことになっていく、いくつかの思い出。
それを見上げると、ふとあの海を思い出した。
トリティアが帰りたがっていた、遥か遠い故郷の光の海。
それからリズさんのあの部屋。光の粟粒がいくつも空へと浮かんでは消えた。
不思議と懐かしいと感じたあの場所。
「――ここに、来たことがあるの…?」
小さく、零した言葉に。
ゆらりと天井の影が応えた。
『…そうか。アンタ、あの子の娘だったのか。…そうか。どうりで』
「…リズさん、目が…?」
『…見たくもないことは視えるのに、見たいものは、見えないなんて…皮肉だねぇ』
微かにわらうその気配が、部屋の空気をふわりと揺らす。
その姿までは現さずに、そっとこの部屋の空気に紛れている。
リズさんは、ずっと。
ずっとあたしのお母さんを。
『――あの子が、呼んでる気がしていた。だけど、アタシの…勘違いだったのかもしれないねぇ。だってあの子はもうとっくに……アタシを置いて、いってしまっていたんだから』