アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~

3



 盛大に遅刻ではあるけれど、二学期最終日ということでお父さんに学校まで送ってもらいお父さんとはそこで別れる。
 しんと静まり返った無人の教室。
 今まさに終業式の最中のようで、生徒達は皆体育館に居た。
 流石にそこに後から参加する気にはなれず、教室で式が終わるのを待つことにする。

 あたし以外誰もいない校舎はどこか寂しささえ感じるから不思議だった。
 いつもここは、人の気配と声とでいっぱいで、何か目に見えないものでいっぱいに、溢れていたから。
 
 窓際の自分の席にひとり座って、窓の向こうに視線を向ける。
 お母さんも、こんな気持ちだったのか。
 ここからあの病院は見えないけれど、あの病室からは遠いけれど、この学校が見えた。
 この学校の、旧校舎が。
 どんな気持ちで見ていたのかは、やっぱり分からないけれど。

 そっと、自分の机にポケットから取り出したものを置く。
 ついさっき、病院でお父さんから受け取ったオルゴールと、そこから取り出した青い石。
 それからいつも自分の首元に下げていたお母さんの“お守り”の石もそこに並べてみた。
 まるで同じ色。
 お母さんの石の方が一回りほど大きいぐらいで、見た目はまるで一緒だ。
 
『――ひとつは、マナの貴石(いし)だね』

 ふと、あたしについていたリズさんが、どこからともなく声をかけた。
 リズさんはこの世界に在(い)るだけで、少しずつ魔力と存在自体を喪失しているらしい。
 今はあたしの魔力の残存に縋っている状態だ。
 だけどあたしの力というのは、どんなに異質であっても世界を越えることはできない理(ことわり)のようで、直にこの世界からは消失する。
 あの世界の神という存在は、この世界では生きられない。

『…思い出したよ。むかし、マナが約束の証に、“マナの貴石”をみっつに分けて、それぞれに持たせてくれたんだ。マナと、アタシと、あと…あと、ひとりは…誰だったかねぇ…』

 その、存在自体が。
 リズさんという存在が、少しずつ失われていく。
 その影響かは分からないけれど、リズさんの姿も少しずつ変化している。
 まるで時を遡(さかのぼ)るかのように、今はあたしと同じくらいの少女の姿。
 神さまに年をとるという概念はないらしいけれど、だけど生きて積み重ねた時間は確かにあり、それが姿形へ影響をもたらすのは当然だろう。
 今はそれが、少しずつ。剥ぎ取られていっている。

 一番はじめ、会ったときに感じたあの威圧的なおそろしさはもはや微塵も感じない。
 これが、神々の“死”なのか。
 すなわち“無”に還るということ。

 その最期の場所を、生まれた世界ではなく別に世界に選んだ。その理由はあたしには分からない。
 だけどあたしには、もう。
 どうすることもできなかった。

「…みて、リズさん。――海。こっちの世界の海も、綺麗でしょう…?」

 リズさんの目的が何なのかは分からないまま。
 思えばあたしは結局、分からないことだらけだ。
 お母さんのことも、あの世界のことも。
 そして、自分のことも。

 だけど、だから、せめて。
 リズさんの最期はあたしが見届ける。
 そう心に誓っていた。
 そしてそれならば場所は、あの海が良いと思っていた。

「…あとで、行こうね。連れてってあげる。リズさんの知らない、海へ」

 あたしの声が、言葉が。どれくらいリズさんに届いているか分からないけれど。
 リズさんが僅かに目をみはり、ゆるゆると視線を窓の外に向けた。とてもゆっくりとした動作で。

『…マナも、同じことを、言っていた…』

 小さく零したリズさんの、頬をつたう光の雫が机で弾けるのと同時に。
 遠くの喧噪があっという間に校舎に広がり、終業式を終えた生徒たちの気配がすぐ傍まで伝わってきた。
 そして教室のドアを勢いよく開ける音と共に、リズさんがその姿と気配を空気に溶かす。
 微かにしかもう、分からないように。

「――真魚(まお)…?! 来てたんだ! 来るなら言ってよ、今まで何してたの?! メールの返事もないし…!」

 教室に一番に入ってきたのは、早帆(さほ)だった。
 その後からぞろぞろと続く面子に、クラスメイト達。
 皆後は待つばかりの夏休みを前に、どこか顔も声も弾ませている。
 さいごに七瀬(ななせ)が携帯電話片手に教室に入ってきて、それからあたしの姿を確認して、思わずその足が止まった。
 それとほぼ同時にポケットの中の携帯が振動する。
 おそらく、七瀬から。あたしを心配する思いが届いているだろう。
 これまで何度もそうしてくれたように。

< 131 / 167 >

この作品をシェア

pagetop