アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


「セレスは時間を司る。その力を以て、俺はあちらに行くことができた。トリティアの開けた穴の、残骸を使って」
「…リュウは…誰かに、呼ばれたの?」

 おそらく、あたしも同じルートを辿った。
 そのきっかけが、シアの“召喚”だったのだろう。

「…俺の場合は、逆だった。俺の呼びかけに、応えたのがセレスだった。だがこの世界ではセレスの存在は許されない。だから俺はこの世界を捨てた」
「…ッ、どうして…っ」

 以前も確か、こんなやりとりをした気がする。
 互いの価値観が噛み合わず、やるせなさと憤りともどかしさ。
 越えられない壁を感じたあの時。
 だけど何故か今リュウは、ここに居る。
 あたしと、同じ側に。
 リュウの行動の意図が掴めないあたしはただ俯いて歯噛みする。
 机の上でその拳を固く握りながら。

「…俺も。生まれた世界が、大事だった。その世界で生きる者も、そして自分と血の繋がった兄弟も」

 小さく。零したリュウのその言葉に混じる違和感に、ゆっくりと顔を上げた。
 レンズ越しのその瞳。
 そこには見覚えのある熱。
 リュウが僅かに晒した心の糧。

「俺はアズールで生まれ、この世界に捨てられた」
「……!」

 思わず言葉を失い目を丸くするあたしを嘲るように、リュウは強気な笑みを崩さずに続ける。
 なんでもない昔話を、笑い飛ばすかのように。

「望まれぬ命だった為に、生きたまま弔いの海に流された。そこでセレスが俺を拾い、そしてこの世界に俺を落とした。この世界で俺を拾ったのは子どものいない夫婦で、俺は大事に育てられた。だけど俺は、ずっと知っていた。分かっていた。俺の生きる世界はここではないことを」

 その生立ちは、それこそまるで。
 物語の中のように苛烈で、リュウの孤独がその瞳の奥で慟哭をあげているよう。
 そして何も知らなかったとはいえあたしの自分勝手で押し付けがましい価値観の、なんて薄っぺらさ。
 リュウに全く響かないのも当然だ。

 人にはそれぞれの、生きた過去と歴史がある。
 自分にしか知り得ない幸福も不幸も傷痕も。

「育てられた父母に恩はある。だけどこの世界には何の情も感慨も無い。だからあの世界で生きると決めていた…だが。父母に礼も別れもないまま家を出たことだけは…ずっと、気掛かりだった。ただ、それだけが」

 心残りだったんだ。リュウの唯一の。
 でも、そうまでしてでも選んだ世界を、何故あたしを連れ戻す為だけに、捨てたのか。
 益々理解できない。
 自分の捨てた世界に、戻ってきた理由が――

「それももう、済ませてきた。これで俺の心残りはない」

 きっぱりと言い放ち、再びその冷たく鋭い視線があたしを射ぬく。
 別れを、告げてきたということだろうか。
 育てのご両親との、“別れ”――?
 じゃあ、リュウはこの後どうするつもりで…

「…俺があの世界へ行くのに使った道は、お前とは違う道だ」

 そこまで、言われて。
 ようやくリュウの言わんとしていることが、脳に到達する。

「お前はあの旧校舎のプールを使っていたようだな。俺が使った道は、違う」

 鼓動が、はやくなる。
 リュウの言う通り。
 あたしがシェルスフィアとこの世界を行き来するのに使っていたのは旧校舎のプール。
 だけど、そうか。
 あそこが使えるようになったのは、ごく最近の一部の期間だけ。
 リュウが使えるはずがなかったんだ。

 それにあたしにはもうトリティアはついていない。
 扉は、もう。あたしひとりの力では、開けられないと思っていた。
 だけど、リュウなら――あたしとは別の道で、別のやり方で世界を渡ったリュウなら。
 
 別の、道が。
 シェルスフィアへ通じる別の道があるはずなんだ――!


「それがまだ使えるはずだ。セレスと俺がまだ、繋がっている限り。…お前は、どうする。マオ」

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