アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
エリオナスからもたらされる、お母さんの話。
今までも理解し難いことはたくさんあった。でも。
まさかお母さんが、自分を望んでいなかったとは。
エリオナスは言葉を失くすあたしの様子になど気にも留めずに話を続けるけれど、その衝撃の事実をどう受け止めろというのか。
思わずぐ、っと胸元のお守りに手が伸びる。
だけどそういえばもうそこに、お母さんのお守りはない。今は――
『きみがぼくの知らない世界で産み落とされ、そしてぼくの世界に戻ってきたと聞いた時――嬉しくてうれしくて、心が震えたんだ。マナからもらった、この心が。ようやく、マナは。ぼくを受け容れてくれたんだと。それこそがきみ、マオ。きみがその証なんだ』
その瞳に宿る熱。甘く響く吐息に乗る言葉。
恋慕のような眼差しがあたしを捕える。
だけどそこに映っているのは、あたしではない。
あたしではないのだ。
だけどそんなのはもう。
何度だって味わってきたんだ、あたしは。
「…つまりはあなたの、片想いだったっていうことなのね」
『……なんだって…?』
「ようはそういうことでしょう。お母さんが愛を誓ったのは…愛し合ったのはあなたじゃない」
もういちいち、落ち込んでなどやるものか。
あたしはもう誰の代わりにもならない。
あたしは、あたしにしかなれないのだから。
あたしはもう、お母さんの愛を疑わない。
だから今目の前にいるひとが、父親であろうとなかとうと、関係ないのだ。
ただ聞かされた話が真実なら、このひとによって生かされた恩があるという事実だけは受け入れる。
「あたしを生かしてくれたことにはお礼を言う。あなたが魂を分けてくれたから、あたしにも出来ることがあると知れたから…あたしはあたしの守りたいひとを、守ることができる。それについてだけは、ありがとうございました!」
目を逸らさずにまっすぐと、対峙したまま腰元のホルダーに手を伸ばす。
そこにはまだ、あるはずだ。
あたしの本当のお守りが。
ずっとあたしの心を、守ってくれていたものが。
『……きみが生きている、それだけで。マナがぼくを愛してくれたという証になる。それだけがぼくにとって、真実だ』
ゆらりと。
エリオナスの輪郭が揺れる。異様な雰囲気を纏いながら。
時間が止まったままのこの虚ろな世界。
閉じ込められていたのはこのひとの心。
失ったことだけじゃない。
ありもしないものに縋って、偽りの愛を求めている。
これがすべてのものの神だなんて、滑稽だ。
『だから迎えにきたんだよ、マオ。きみはぼくの傍に居て』
周りのものすべてを巻き込んで、このひとの夢物語に付き合わされているだけだなんて。
「お断りします! あたしは迎えにきてもらうより、会いたいひとには自分の足で会いに行く!」
すらりと、抜いたシアの短剣。
目の前の相手への拒否の刃。
氷のように薄い諸刃が箱庭の世界の虚無の陽(ひかり)に反射する。
それにエリオナスは目を細めて、それから哀しそうに、おかしそうに笑った。
『…まるでマナと同じことをいう』
くつくつと喉でわらいながら。
その頬には一筋の涙が流れていた。
不思議とそこに、さっきまでの違和感は感じられない。
ひとではないものの、まるで人そのもののような情。
溢れるそれは凪いでいた海に嵐を呼ぶ。
エリオナスの心に呼応するように。
「…シェルスフィアから…手をひいてほしい」
もう穏便に済む話ではないと分かっていた。
遅すぎる交渉だと。
それでも、簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
あの世界は今、エリオナスの手の上。
このひとをどう動かすかは、あたしにかかっている。
『…あの国は、王家は。多くの罪を犯した。不相応な人間がぼくらの力を手にしたところで持て余すか呑まれるだけ。永い時がそれを教えたはずだ。海の均衡も崩れつつある。これ以上は捨て置けない。ぼくから奪ったすべてのものを、返してもらう』
「シェルスフィアが…王家があなたから、奪ったものって…?」
はじめの約束。すべてがそこに行きあたる。
王家の呪いも、神々の解放も、リズさんの呪いも、そしてこの戦争も。
『…心、だ。かつてひとりの少女が植えつけたそれを、ひとりの王がすべて奪って粉々にした。その心の為に、ぼくは大事な子ども達と、海と、力と。その殆どを失った。だけど永い時を経て、少しずつぼくに還ってきた。あとは…マナの心だけ。きみだけだ、マオ』