アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
『――――っ、マオ…?』
――シア。
いつもいつも遠い、その馴染んだ声。
涙が溢れる。
声が出なくてシアの呼びかけに上手く応えられない。
だけど、本当は。
本当は、あたし。
「…これは、もらっておくわ。道を拓(ひら)くのに必要だし、まだこれには用があるし」
光りの中でお母さんが、笑いかけながら刀身を光に翳す。
あたしの手の中には紋章と装飾のついた鞘だけ。
中身を失った空っぽのそれはひどく軽く感じた。
装飾品は変わらず煌めいているのに、何故かどこか寂しく映る。
それからお母さんのもう片方の手の細い指先が、あたしの頬を優しく撫でる。
「…愛している。ほんとうよ、まだ会えなくても、ここでこうして会えただけで救われたわ。たぶんあたしは、あなたにそれを伝えられずにいなくなる。だけど、だから、ここで言わせて。真魚。あなたに会えて、良かった」
まだ16歳の、お母さんが。
これから何を失い差し出すのかを、あたしは結局知ることはない。
何か返さなければと思うのに、やっぱり言葉はかたちにならない。
どうして。ほんとうにこれで、最後なのに。
そんなあたしにお母さんは、やっぱりすべてを見透かすような瞳で、笑った。
その隣りでリズさんも、見たこともないような幸せそうな表情(かお)。
「あなたは決して、失わないで」
そして一瞬の間を置いて、海と空とが大きく割れた。
一閃、切り裂くように光の筋。
世界が分かたれていく。
二度目のさよなら。
一度目は言えなかった。
だから今度は言わなくては。
あたしの長い旅を、終わらせる為に。
「……さよなら…!」
光に眩むその向こう。
お母さんは笑って手を振った。
リズさんとお母さんが、その光に溶けていくのを見つめながら、光に呑みこまれているのはおそらくあたしの方なのに、消えていくのはふたりの方なのだと。
何故かそれが解っていた。
最後の瞬間、人影がひとつ増えたような気がしたけれど――
それを確認する術は、もうあたしにはなかった。
固く目を瞑りながら、携帯電話を耳にあてて叫ぶ。
何度もあたしを呼ぶ声は聞こえていた。
それでもあたしは叫んでいた。求めていた。
「……シア…! 呼んで、あたしのこと…! 傍に居て、いいって言って…!」
本当は、あたしは。
遠い距離が寂しかった。
話すなら顔を見て話したかった。
手を伸ばせば触れられる距離に。
あなたを感じていたかった。
傍に居てほしかった。
傍に居たかった。
「あたしは……!」
なかったことにはできないから。
あなたを想う、愛しさも哀しさもぜんぶ。
ぜんぶぜんぶ、糧にする。
それがあたしという存在の意義になる。
そしていつか、あなたに行き着く。
あなたを求める心がここに在る限り。
何度でもあなたを助けにいく。
たとえそれで、あなたを哀(かな)しませても。
「――おれも。死ぬなら、お前の傍が良い」
抱きしめられる腕の温もり。
お別れだと言ってあたしを突き放した時と同じそれ。
だけど今度は決して離さないように、ただ温もりを強く繋いでいた。
腕の隙間から見える、その景色。
目の前には紛れもなくシェルスフィアの海が広がっていた。
その空には重たく暗い雷雲に、いくつもの稲光が空を切り裂く。
見たこともないほど荒れ狂う海。
いくつもたつ光の柱。
そして世界を壊す為だけに、閃光に咆える青銀色の竜。
ここが世界の終わりなのか、それとも。
抱きしめ返すこの温もり。
こわくはない。
あたしにしかできないのだから。
「死なせない。あたしが」