アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
いつもと変わらない藍色の瞳が、まっすぐあたしを見据える。
「…レイズ」
「…お前は。泣いてばっかだな。最後まで」
呆れたように笑いながら、その指先が涙を拭う。
乱暴なようでいて、いつも触れるときはどこか優しさが残っていた。
だけど今はもう。その瞳は笑っていない。
最後だと、そうはっきり言葉にしたのはレイズが初めでだった。
「…そうかも。ごめん、けっきょく何も…返せなかった」
レイズの顔を見ると、どうしても。
失ったジャスパーの顔が頭に浮かぶ。
胸がどうしようもなく痛くなる。
船のみんなを守ると言って、結局。守れなかったことがどうしても申し訳なくて。
自分で自分を許せなくて、レイズに合せる顔がなかった。
だけど謝ることは許されなかった。
きっとその心はレイズにもお見通しだったと思う。
いつも逃げるあたしを、強引でも無理やりにでも捕まえるのはレイズだ。
そして逃げるなと、叱咤する。
共に戦う心をくれる。共に在ろうとする心を。
「返さなくて良い」
俯くあたしにレイズは、その通る声であたしの名前を呼ぶ。
マオ、と。彼が呼ぶとどうしたって逆らえない。
レイズはそういう人なのだ。
顔を上げるとその瞳が、まっすぐあたしを見下ろしていた。
いつになく真剣な顔で。
「言っただろう、俺は。どこに居たって必ず、会いにいく。海も世界も関係ない。呼べば必ず。……だけど」
きっぱりと言い放つレイズの、最後の言葉が珍しく小さくなった。
思わずその顔を覗き込む。
笑わないクオンが笑ったように、泣かないレイズが泣くなかと思ったのだ。
そんなわけはないと思っていて。
だけどいつも不必要なほどに距離を詰めてくるレイズの、今は僅かに開けられた隙間が。
どうしようもなく埋められない距離と不安と寂しさを感じさせた。
あたしを見下ろすその顔は、僅かに翳っていて見えない。
いつもまっすぐ自分の思ったことを相手に云うレイズの、言葉は途中で止まったまま。
こんな中途半端なレイズは珍しい。
思わずそっと、伸ばした手を。
「お前が、望まなければ。俺が望んで良いのかも分らない」
容赦なくとったのはレイズだった。
痛いくらいに、強く。
強引なのは相変わらず。だけどいつもとは違う藍色の瞳。
レイズは、きっと。
あたしを引き留める唯一のひとだと勝手に思っていた。
これまで何度もそう言って、弱くて泣くあたしを抱き締めて引き留めてくれた人だから。
もしも行くなとレイズに言われたら、あたしは精いっぱいの勇気をもって振り払う思いでいたその腕。
あたしの胸の内の片隅に、見ないように隠していた本心を、いつだって見逃さずに見つけてしまう人。
あたしの迷いを、晒して奪う人だ。
だけどいつだってレイズは。
あたしの気持ちを一番に、考えてくれた。思ってくれた。
だから見送ってくれる。
あたしの心からの望みを。
「だから、これは。俺のものだ。今はまだ僅かでも。いつか全部、俺のものにするから覚悟しておけよ」
レイズらしい台詞を吐いて、そしていつものようにその腕の中に強引なほど強く抱き締められる。
違う、いつもよりずっと、強い腕。
押し潰されてしまいそうだ。レイズの心に。
ああ、やっぱり、けっきょく。
泣いていたのはあたしの方。
だけどこの痛みは今だけは、間違いなく分かち合ったもの。
そう信じている。
ひとりで持ちきれなくて、抱えきれなくて。
怖いのも事実だ。
きっとレイズも気付いてる。
だけどもう、よこせとは言わないレイズのその心を、あたしがもらっていこう。
最後、あたしの為に。折ってくれたその信念の旗を。
強く抱き締め返すあたしの体をレイズがぐっと抱き寄せる。
そしてあたしの首筋に顔を埋めていたレイズの、吐息を肌に感じた瞬後。
その場所に鋭い痛みを感じて思わず声を上げた。
「痛…! いま、な…!?」
「帰ってこいよ、必ず。ここじゃなくても良い。おまえが生きてるならそれだけで、俺たちも明日を生きていける」
自分のつけた傷痕を確認するように指先であたしの首筋をなぞったレイズはいつもの表情。
文句を言う前に、あたしの頭をくしゃりと撫でて笑う。いつものように意地悪く。
だからあたしも、最後。笑うことができた。いつものように。
ぜんぶ、レイズのおかげだ。
この海でいちばん最初に出会ったひと。
「きっと守るよ、今度こそ。これ以上誰も、哀しませない」
その望みが。
守りたい人たちが。
あたしの糧になる。
そうして、最後。
あたしの前に立ったのは、シアだった。
あの日、あたしの手を自ら手離してお別れをしたように、まっすぐ対峙する。
だけど今度はお別れを言うのはあたしの方だった。