アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
その青い瞳が涙に溢れて、そして最後に手を伸ばす。
その手をとることはかなわない。もう抱き締めることもできない。
その姿が消えていく。遥か遠い、海の彼方に。
あたしはきっと、笑っていた。
最後はそう決めていた。
――あたしを呼ぶ声がした。
エリオナスではない。この声は――
導かれるように肉体が、眩む光へ溶けていく。
15年間。碓氷真魚(うすい まお)として生きた身体がなくなっていく。
そうして残った魂が、呼ばれる方へと向かうだけ。
そこから先は知らない世界。
だけどもう、こわくない。
光の柱が海にたつ。
あたしの愛した青の王国に、あたしの証が刻まれるのだから。
『――それがきみの、答えなんだね。マオ』
胸の内に響いてくる、どこか懐かしい声。
哀しそうに言ったのは、想像していた相手の声ではなかった。
これは…この声は――
「……トリティア…?」
『そうまでして。すべてを捨ててまで、守りたいだなんて。ぼくらには理解できない。おそらくきっと、父上にも』
その声は、かつてずっとあたしの内(なか)に居て、そして失った海で別れて以来の相手。
あたしをシェルスフィアへ導いた発端でもある、トリティアの声だった。
こうして話すのは久しぶりで、なんだか少し変なかんじだ。
はじめてシェルスフィアに喚ばれてから、ずっと傍に居た。
あたしの中に居て、時には力を貸してくれてた。
だから居なくなった時は寂しくも思えたりした。
彼の力に振り回されたのも事実なのに。
でも、自分の海に帰ったはずの、トリティアの声がするということは…姿は見えないけれど、おそらくここが。
神さまたちの住む世界。
あたしがすべての世界と引き換えに、選んだ海。
「…だって、仕方ないよ。あたしは半分、人間だったんだから」
『人とはみんな、そうなのかい…? ぼくはむかし、永く“瑠璃の一族”と共にいたけれど…彼らも所詮、自分が一番だった。助け合うことを諦めたあの一族は、ぼくの遺した首飾りの効力を維持できず…やがてあれは呪いとなった』
「…イリヤの、首飾りのこと…?」
『ただしく使う、意志があれば。共に生きることは可能だったのに。必ず、失うんだ。ぼくらにとってはほんの一瞬。だけど人には永(なが)すぎる』
「…生きる時間が、違うから。それもきっと、仕のないことなのかもしれない。終わりがあるからあたし達は…ほんの一瞬でも、幸福(しあわせ)を求めてしまう」
『……幸福』
見えないはずのトリティアが、首を傾げている様が目に浮かんだ。
理解し難い感情なのか、神々の知らぬものなのか。
そうか、幸福とは。
人だけに与えられた、特権だったのかもしれない。
望みを、願いを持つことそれ自体が…人だけに許された希望。
お母さんを求め、それを真似たエリオナスは、永い時間を過ごすうちに歪んだ希望となってしまった。
執着という名の楔に。
『それで、きみは。終わりを捨てて、永遠を選んだのかい。あの世界の為に』
「…捨てたつもりはない。あたしだからできること、あたししかできないことをする為に、ここに来たんだよ」
かつて、ひとりぼっちだったエリオナスに。
お母さんとの出会いが与えたものは、愛と孤独だった。
愛を知らなければきっと、孤独だと気付かずに済んだはずだ。
孤独をおそれる心が、失うことを厭う心が。
永い時をかけて彼の心を歪めてしまった。
「始まりに価値があるのは、終わりに意味があるから。だからあたしが終わらせにきた」
『……どういう意味だい…?』
「あの世界を壊して欲しくない。それもある。だけどそれと同時に、エリオナスはもうきっと、この世界に居ないほうが良いんだと思う」
『…それは、つまり』
「エリオナスを解き放つ。すべての世界から」