アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


『…どういうことか、分かって言っているのかい…?』
「わかってるよ。だけどそれしかない。神さまなんて、そんなものに…縛られているから彼は救われない。欲しいものは何ひとつ、手に入らない』
『……それは我々を愚弄しているのか。父より生まれ、分け与えられたこの命を』
「違う…! だけど彼を父だというのなら…慕うなら…! 彼の望みを叶えることばかりじゃなくて、その背を後押しするばかりじゃなくて…! ただすことも、大事なはずでしょう? あの世界を…シェルスフィアを。本当にみんな、壊したいと思っているの…?!」

 声を高く叫んだ瞬間。
 靄(もや)が晴れるように視界が眩んで光が溢れた。
 あたしの叫びに応えるように。

 目を開けたそこには、揺れる影がずらりと並んでいた
 あたりはどこか薄暗く、その影もどこかおぼろげだ。
 暗い海の底にいるような、仄暗(ほのぐら)い藍色の世界。
 頭上のずっとずっと遠くに僅かな明かりが見えるけれど、気が遠くなるほどの距離を感じた。
 これがトリティアたち――神々の海なのか。

 人のかたちをしているもの、そしてしていないもの。
 ぜんぶで12の影。
 ずっとあたし達の様子を伺っていたのは分かっていた。
 ようやく姿を現したその存在。
 シェルスフィアの海に放たれていた神々だ。

 その真ん中に居るのが、先ほどまで会話をしていたトリティア。
 以前対峙した時と同じ姿かたちをしている。
 それ以外の殆どを、あたしは知らない。
 だけど見た顔がいくつかあり、そのひとつにざわりと神経が逆撫でられる感覚がした。
 小さな泡がぱちんと弾ける。

『つまりは父上を、最上の座から引きずり落とすというわけか…! なんて面白いことを考える。我らの妹とは思えんな』
『――アトラス』

 聞き覚えのあるその声は、胸の痛みを抉るもの。
 まだ、痛むのか。もう肉体もないのに。

『だが悪くない考えだ。遊び場を失くすのは確かに惜しい』
『…本気で言っているのかい』
『お前も傍で、父上の心が乱れ海にも多くの影響が現れるのを見てきただろう。かつての父上の影はもはや遠い。…この先もただ、失われていくばかりだ。分かっていただろう、お前も』
『……』
『別にその座に興味はない。好きなときに暴れられる海があれば』
『…父上を。見捨てるというのか』
『マオが言っていた、その言葉だけには同感だ。解き放つのだ。敬意をもって』

 輪郭を強くしたアトラスの、赤い瞳があたしを見据えた。
 アトラスと対峙するのはあれ以来。ジャスパーを失った、あの海。
 記憶と共に、抉れるように痛みを伴う胸と脇腹。
 肉体はもう無いはずなのに滑稽だ。
 痛みと記憶からは逃れられないなんて。

 アトラスへの個人的な感情はいくらでもある。でも。
 今となってはどうしようもないものだ。
 再びアトラスと力を交える気はないし、そうしてもジャスパーが帰ってくるわけじゃない。
 それに今は、賛同者が増えるのは有難いことだ。
 あたしがしようとしていることは、ひとりではきっとできない。
 だから言葉をぐっと堪える。そうでもしないと感情のままに溢れそうになるこの心を。

『アタシも、賛成。あの世界はどうでも良いけど、リュウと会えなくなるのはイヤだもの』
『……セレス。何度呼んでも帰ってこなかった君が、よくこの場に現れたものだね』
『だってリュウが行けっていうんだもの。まだ契約は切れてないわ。アタシは、リュウのものよ』

 セレス。
 リュウと契約している神さま。
 揺蕩(たゆた)う長い髪をなびかせながら、妖艶な笑みを浮かべてあたしを見る。
 とても同じ世界の存在とは思えないその存在感。
 こうして近くで対峙すると、アトラスとは異なる意味で異質に感じる。

『魂だけアタシ達に近づいたとしても、本質は違うアナタに。どれだけのものが救えるのか、アタシも見てみたいわ』

 好意的ではない、でも。
 人と繋がった彼女が、寄せる僅かな期待と希望。
 離れたくないひとが居る。
 その思いは等しく同じなのだ。
 神さまも、人も。

「…そんな、たいそれたことが…できるわけじゃない。たぶんあたしひとりじゃ、なんにもできない。あたしができる唯一の事は、こうして世界を繋ぐだけ。きっとそれだけなんだと思う」

 守りたいものの為に、手離したものがある。
 だけど犠牲にしたりなんかしない。
 あたしは何にも、奪われない。

「ふたつの世界を、あたしは知ってる。あの海の青さも太陽の眩しさも、それからこの世界がほんとうは、人への憧れでできているっていうことも」

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