アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


『……父上の…本当の願いとは…?』

 トリティアの小さな問に、応えたのはエリオナスだった。
 エリオナスのその瞳は、どこか遠くを見つめている。
 もうずっとその心は。ここにはなかったのかもしれない。
 
『…マナは…ぼくを見つけてくれた。彼女がぼくを愛してくれなくても良い。…同じ世界で、生きたかった。マナの居る世界に行きたい――』

 それは、ここではない場所。
 おそらく誰もが最後、いきつく場所。
 
『――叶えよう。それが父の為にぼく達ができる、唯一のことだというのなら』

 その手に淡い光が灯る。
 トリティアの手の中で輝く貴石は他のものと同じでも、僅かに大きさが異なる気がした。
 おそらくトリティアが。
 いちばん初め、トリティアに生み出された子どもなのだ。
 ずっと父の姿を追い、傍で見守り心を寄り添わせた、一番さいしょの子どもなのだ。

『――マオ。本当にもとに戻せるのかい。分かたれたものを』
「できる。その為にあたしは、ここに居る」

 淡い光を放ちながら、12の貴石の欠片が頭上に集まる。
 それらを自分の手のものと合わせ、そしてこの手に閉じ込める。

 あたしならできる。
 お母さんの貴石を戻した時のように。
 あたしにしかできないこと。
 だからあたしはここまできた。

 すべての貴石が融けて、やがてひとつに混じり合う。
 そして再び形を成す。
 七色の光りを放ちながら。

 それは暗い海の底を明るく照らした。
 ずっとずっと、遠くまで。

 一度手を離れていたものは、きっとすべて元通りにはならないだろう。
 それでも。
 失くした何かを埋めるもの。
 それが、絆だ。

『……綺麗だ』

 差し出した貴石を見つめ、エリオナスがぽつりと零す。
 その透明な瞳に明かりが灯る。
 ずっと暗かった、海の底にも。

 エリオナスの手をとって、その手に貴石を握らせる。
 そしてその両手を自分の手でもぎゅっと包んだ。

 温もりは、感じない。
 だけど手の平の存在は確かなもの。
 光が彼に溶けていく。
 受け容れようとしている。
 彼自身の本当の望みを。

『…ぼくも。同じ場所に、いけるだろうか…待っていてくれるだろうか』
「…待っていると思う。だってお母さんは…あなたは神さまなんかじゃないってことを、知っているはずだから。お母さんはあなたを…愛していたと思う。あなたとは違うかたちでだけど」

 お母さんが甦ったとき、その口から。
 確かにエリオナスの名前も出てきたのだ。
 彼の存在を厭う様子もなく、ただ困った友人の話をするように。
 
 何よりお母さんが、彼という存在を拒否しなかった。
 あたしという存在を繋ぎとめることを、エリオナスの魂の一部を自分の胎内にいれることを、お母さんならきっと拒否することもできたはずだ。
 だけどそれをしなかった。
 
 彼の想いを受け容れたのだ。
 その瞬間に、あたしの命と彼の心は一度、救われた。

『……愛とは。厄介なものだね。たったひとつであれば、何も迷わず間違えることもなかったかもしれないのに』
「迷うことも間違えることも、悪いことばかりじゃない。だから、あたしは…」

 お母さんは、最後。
 なんて言っていたっけ。

『――あなたは決して、失わないで』

 ああ、そうだ。
 お母さんがかつて差し出したもの。
 自分の本心。愛するということ

「失いたくない。やがてすべてが報われる日まで」

 あたしの答えにエリオナスは、ようやく心からの笑顔を見せ、そして最後にあたしの頭を優しく撫でた。
 それからぐるりとあたりを見回し、そこに居た自らの子どもたちに視線を向ける。今度こそ慈愛に満ちた心からの笑みと共に。

『あとはきみ達の好きにすると良い。ぼくの時代はここで終わる。後は、頼んだよ』

 一番近くに居たトリティアが、その言葉にそっと頭を下げる。
 別れと敬意を示して。
 エリオナスはそれを受けて優しく笑い、そうしてくるりと背を向けた。

 永く共に居た存在。
 1000年の永い旅が、いま。


『ぼくは先に、つぎの世界へ行く』


 遥か頭上、遠かった光を目指して。
 エリオナスは光に消えていった。

 それを静かにいつまでも見送るトリティアの隣りで、その横顔をそっと見上げる。
 やがて光が消え、海の底はまた静かな暗闇に包み込まれた。
 未だ視線を外さないトリティアに、声をかける。

「…エリオナスの代わりは、あなたが務めるの…?」
『…代わりなど、必要ないだろう。父がつくった世界といえど、繋げるのも治めるのもぼくらが主にやってきた。ぼくらはただ、従っていただけ。父上の意向に。だけどもうそれが必要ないというのなら…あとはそれぞれの自由だ。関わるものも、遠ざかるものも。だけどもうあの世界の人間たちに…ぼく達は必要ないのだろう。少なくともぼくは、もう。関わりたいとは思わない』
「イリヤも…同じことを言ってた。神々の時代は、終わったって。シェルスフィアも、新しい時代を迎える。あたし達もこれから何か新しいことを始めれば良いんだよ、もう少し平和な方向で」
『…新しく…』
「時間はたくさん、あるんでしょ? この世界はもう少し、明るくした方が良いと思う。海の底みたいで嫌いじゃないけど、明るいほうがもっときっと、住みやすく―」
『ぼくらはこれくらいで調度良い。ぼくらは皆この海の底で、生まれたから。きみと違って。…ここは、きみの…住む場所ではないようだ』

 トリティアの、声音が。突然かたいものになり、あたしは思わず口を噤む。
 急に、何故。
 あたしもこれから、この場所で過ごすというのに。
 ――家族のはずなのに。

『父の欠片を、返上したいま。ぼく達にはなんの繋がりもない。きみとは生まれた世界が違う』
「…トリティア…?」
『その、魂はきみのもの。ここはきみの在るべき場所ではない』

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