アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 生徒たちのざわめきを引き連れて、水音を滴らせて。
 扉が開けられる。大きな音をたてて。
 それは感傷に浸っていたあたしを現実に引き戻す、大きな音だった。


「――――マオ」


 その、声。
 訊き間違いかと思ったその声は。
 決して間違えることのない、相手のもの。
 だけど、ここには居るはずのない相手だ。

 まさか、嘘だと思いながら、視線がゆっくりと声の方へ向く。
 しんと静まり返った教室で、響く足音。
 それからひきずる布の擦れる音。
 
 突然現れたその相手が明らかに学校の生徒ではないことは、その恰好から見て明らかだった。
 まだ幼さの残る少年だ。
 だけどその恰好は、例えば七瀬が着てるような制服ではない。
 かといって大人達が着るような、日本人が日常的に着ているような装いでもなく。

 その髪色も、瞳の色も、風貌も。
 どこか現実とかけ離れた雰囲気を纏い、どこか光り輝いていた。
 その瞳はまっすぐ自分を、自分だけを見つめている。他の何をも気に留めず。

 淡く光を放ちながら、少年が教室の教壇の真ん中で立ち止まる。
 その光景はやっぱり現実離れ過ぎる。まるで真昼の幻想だ。

 あたしの席から少しだけ距離のあるそこは、だけど世界の壁に比べたらなんでもない距離。

「……シア…?」

 思わずその名前が口をつく。
 だけどやっぱり、信じられない。

 夢だろうか。もしくは幻。真夏の蜃気楼のような。
 だけど周りの七瀬たちも一様に、怪訝そうな顔でシアの姿を認めている。
 シアが確かに、そこに居る。

 本当に、本物?
 どうして、ここに――

「時間がない。大事なことだから一度しか言わないし、答えも簡潔に頼む」

 頭の追い付かない、おそらく間抜けな顔をしているあたしを置いて、シアは至って冷静にそう切り出す。
 シアの足元に水が滴って水たまりを作っていた。
 周りからどれだけ好奇の目を向けられても、シアのその瞳は怯まない。

「おまえがおれとの未来を望むのなら…、おれにはもうその覚悟がある。あとはおまえが、受け入れるかどうかだ。このおれを」
「……どういう、意味…」

 シアの姿はまだ子どものまま。
 呪いが解かれていない証だ。
 そういう意味で、時間がないということだろうか。
 
 だとしたら、尚更何故ここに。
 シアの体にばかり気持ちがいく。
 まだなお奪われ続けているのかと。

 だからつい意識が疎かになって、あたしは最初シアの言葉の意味がまったく理解できなかった。

 思わず席を立ったあたしに、視線が嫌でも集中する。
 まるで舞台の上に立った気分。
 それどころではないのは百も承知だけど。

 そんなあたしの様子に、シアは苛立ちを滲ませた顔でがしがしとその綺麗な翡翠色の髪をかき、今度は容赦なく睨みつける。あたしを。

「おれは…! おまえが、好きだ。…愛している。おまえは、どうなんだマオ。まだちゃんと聞いていない」

 シアの告白に、一瞬教室内が沸く。
 遠くで黄色い囃し立てる声。
 だけど気にしていられない。

 突然の見世物劇。
 相手は見た目は幼げな少年とはいえ得体の知れない不審者だ。
 七瀬が、早帆が加南が。あたしを見上げて答えを待つ。
 一番待っているのはシアだろう。

 だけどその意味が分からない。
 それにあたし、シアに好きって言ったことなかったっけ?
 もう何度も、言っていたような気がしていた。

「えっと…好き、だけど…」
「なんだその気の抜けた答えは! こっちは命がかかっているんだぞ!」
「や、だから…シアの体が、心配で…」
「おれのことよりおまえだマオ! 勝手なことばかりして…! だからおれも自分の為に、来てやったんだ。例えおまえがどう思おうとな」

 どうしてだかは分からない。
 あたしは一歩、自分から。
 シアの方へと足を踏み出していた。

「だが、おまえがおれを受け容れなければ…ゆるさなければ。おれはここには居られない。だからおれを好きなら…愛しているなら。ここに誓え。永遠を」
「……一緒に…居られるの…?」
「そうだ、マオ。おまえが、望むなら。――愛している、マオ。この心は、永遠におまえのものだ」

 シアがその手を差し出す。
 いつかと同じように、まるで出来過ぎた演出で。
 だけど確かな現実で。

 もう何も考えられずに、その言葉だけを信じて。
 その腕に飛び込む。
 周りの声も音ももう何も聞こえない。
 あたしよりも背丈の小さなその身体を抱き締めて、それから小さく囁いた。

「あたしも、愛している。きっとずっと、永遠に。いっしょに、居たい――傍に居て、シア」

 その、瞬間。

 シアの体が光に包まれて、そして弾けた。
 教室内が光に眩む。どこかで見た白い光。
 
 抱き締めていたその身体が、いつの間にか。
 あたしを強く抱き締めていた。
 あたしを包む大きな体で。

 呪いの解けた、もとの姿――17歳の、本当の姿のシアがそこに居た。

「……この、呪いは…おれがシェルスフィアの王である限り、あの世界に居る限り…決して解けないものだった。リズやエリオナスの呪いではない。はじめこれは、ひとりの人間と王との、約束の証だったんだ」
「…シ、ア…」
「かつて交わした約束は、シェルスフィアの血をもつ限り、愛を誓う相手と永遠に共に在ること。そうしてそれが今、ようやく果たされた。シェルスフィアはシエルが…導いてくれる。新しい時代へ」
「じゃあ、もう、大丈夫なの…? 死んだり、しない…? いなくなったりしないの…?」
「ずっと一緒だ。ずっと、傍に居る」
「でも、シアは…!」
「おれは、選んだだけだ。ここで…おまえの傍で生きることを。おまえの為に、生きることを」

 愛した世界を、海を捨てて。
 選んだシアが、今ここに居る。
 あたしの隣りに、すぐ傍に。

 涙で溢れる視界に、シアの笑み。
 夢ではない。
 強く掴まれた手が痛いほどにそれを主張する。


 世界が、いま。
 ひとつになる。
 この腕のなかで。



「もう離さない」
 




 愛を叶える。
 世界を越えて。




            Fin.
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