アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
案内された場所は船内のお風呂のような場所だった。
木槽は大人ひとり分ほどの大きさで、そこに半分ほどお湯が張られている。
立ち込める薄い湯気に、それから微かに花の匂い。
「先に湯に浸かった方が良いかな。体を温めないと。ただ体浸かったお湯で顔とか髪を洗いたくなかったら、先に洗った方が良いかもしれません。使える水は限られてますから」
シャワーのようなものは見当たらないので、必然的にこの木槽のお湯ですべてのあれこれをしなければならないのだろう。
ジャスパーから木桶と石鹸とタオルを受け取りながら不思議な気持ちでそれを見つめる。
まさかお風呂に入らせてもらえると思っていなかったので有難いのが本音だ。
海に落ちたという体は確かに冷え切っていて寒かったし、潮気で制服も髪もべたついていた。
だけど。
この世界で学んだことは、そうカンタンに油断してはいけないということ。
自分の身の安全を、確実に保障されるまでは。
こんな得体のしれない、ともすれば自分を商品だと言う海賊船の中で、裸になって良いものなのか。
自分には武器ひとつ無いとはいえ、それはいよいよ逃げ場の無い選択だ。
さきほど視界の端で見たこの船の船員達は、皆男ばかりだ。
正直それが一番、こわい。
あの、品定めでもするような目が背筋を滑る。
「ジャスパー、訊いていい…? この船に女の人はいないの…?」
段差のある敷居に扉はなく、シャワールームの個室のように、頭と足はあちら側に丸見えだ。
映画で見るような木製のウェスタンドアの片開き。押せば簡単に境界はなくなる。
ジャスパーはその向こうで穏やかかに答えた。
「今この本船には、居ませんね。分船のアクアローゼ号やアクアリリィ号には数人居ますけど、男の人の方が圧倒的に多いです」
「…そっか…」
おそらく、その場から動く気配を見せないジャスパーは見張りだろう。
流石にそれはわかる。あたしから目を離そうとしないその意志を、イヤでも感じるから。
かたかたと震えるのは、寒いからか、こわいからか。
ぎゅっと自分の肩を抱く。
髪先から垂れる滴は潮の匂いがした。
観念するしかない。
この体では、いざという時逃げ出すにも不十分だ。
そう腹をくくりジャスパーに背を向け、制服のスカーフに手をかけた時だった。
「……!」
スカートのポケットから、振動を感じる。
反射的にそこにある物を思い出し、いやいやと首を振った。
いや、でも、まさか。
そんな思いが思考を埋めながらも、おそるおそるそれに手を伸ばす。
取り出したのは携帯電話。
バイト先でもらった半透明のイルカのストラップがゆらりと揺れる。
まだなお止まない着信のバイブ。
その振動が鼓動をも揺らす。
画面には七瀬の名前が表示されていた。