アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
「さぁ、着替えてキャプテンの小難しい話を聞いたらごはんです。どうせ小難しいのはポーズだけですから気にしなくていいですよ。レイは女のひとには甘いですから。久しぶりのお客さんだから、今日はぼく腕を振るわなくちゃ」
制服はそのままジャスパーに預け、借りた衣服に腕を通す。
簡素なワンピースにいくつか布を巻きつけて、最後にジャスパーがつけていたブレスレットを腕に巻いてくれた。
彼の名と同じ宝石を加工し数珠状に繋げたブレスレットで、赤い色に黒い紋様が入っている。
「価値を問わず、海に出る者は皆宝石を身につけます。海には陸よりも多くの神々が居て、彼らにとってぼくたちは侵入者でしかありません。なのでいざという時は、身に着けていた宝石を供物の代わりに捧げ、怒りをおさめてもらうんです。この、刺青も。船乗りたちが身に着けているものや晒すもののほとんどは、魔除けの呪(まじない)でもあります。マオのは、きっとキャプテンがいれてくれますよ。乗船の最初の儀式みたいなものですから」
「刺青って、強制なの…?」
「そうですね、少なくともこの船の最低限のルールです」
そう言われてしまうと、反論できない。
勝手にこの船に転がり込んできたのはこちらなのだ。
しかもこの船がなかったらあたしは、今頃ここには居なかったかもしれない。
海の近くで育ったので泳ぎには自信があるけれど、海の真ん中に落とされて生きて陸まで泳げるほどの自信は無い。
複雑な気持ちでジャスパーが巻いてくれたブレスレットにそっと触れる。
「これは、借りちゃっていいの…? 大事なものじゃないの?」
「はい、あげます。返さなくて結構ですよ。マオを守るのはぼくの役目でもあるから、良いんです。船の新入りが来た時は、その中で一番下っ端の船員が自分の装飾品を分け与えて、それで船乗りの兄貴分になるんです」
「ジャスパー、下っ端って言ってる」
「実質この船の中じゃぼくが一番下っ端なので。船での役割と乗船期間は別モノですから」
そう言うジャスパーは、確かにどこか誇らしげに笑っている。
それに微笑ましく思いながらも、必然的につまり、この船で一番の下っ端が自分に移ったのだと理解し、少し複雑になる。
「レイの部屋はこの奥です。ぼくは夕飯の準備にとりかかりますね」
言われて向けた視線の先には、明かりのついた部屋がある。
船の一番端に位置する船長の部屋とのこと。
「ジャスパーは、その…行っちゃうの?」
「この船での自分の役割を果たさなくてはいけませんから。大丈夫、レイはこわいのは見た目だけで、根は割と優しいですよ」
どうしよう、信用できない。
だけど屈託ない笑みを向けるジャスパーにそれを言うことも、仕事に行く彼をこれ以上引き留めることもできない。
改めてお礼を言って、ジャスパーの背中を見送る。
それから今さらだと思いながら慎重にゆっくりと、その部屋に近づく。
木製のドアに嵌められたガラスから漏れる、オレンジ色の明かり。
外はすっかり暗く、今何時ごろなのかはわからない。
だけどやはり船は動いていなく、今夜はここで停船とのことだった。
ノックしようとした手が、躊躇する。
ジャスパーはああ言っていたけれど、やはりこわいものはこわい。
自分を売ると言い放ったあの瞳は、紛れも無く本気に思えたのだ。
真水は貴重だと言っていた。
そんな中、自分みたいな得体の知れない相手に湯を沸かしてくれた。
それはあたしが思っているよりずっと、紳士的な待遇なのかもしれない。
だけど悪い想像しか働かない。
商品を小奇麗にするのは、売り手のマナーのようにも思えて仕方ない。
海賊という言葉は、自分が知る知識や持つ印象は。それほどまでに悪いものしかなかった。
「――いつまでそうしてんだ」
突如、扉の向こうから投げかけられたそれが、自分宛てだとすぐに分かった。
レイズの声。また、不機嫌そうな。
「……っ」
流石に、バレていた。
もう十分近くも扉の前でこうしていれば当然か。
固まっていた手を動かし、一応ノックをする。
相手にバレて居ても最低限のマナーだ。
「…マオです」
「入れ」
間髪入れずに返事は返ってきて、ドアノブに手をかける。
冷たい感触に背筋までひやりとした。ゆっくり回して押し開ける。
部屋から漏れる明かりが足元に濃い影を作る。
部屋の中には思ったよりも薄暗かった。ドアのすぐ傍に、カンテラの明かり。
「風呂に何時間かかってんだ。ジャスパーを独占すると飯が遅れんだ、気をつけろ」
そう言った声は、予想よりずっと近く。
ドアを開いたすぐ脇に、壁にもたれたレイズが居た。