アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
まさか、そんなはずない。
だけどシアがそんな嘘をつく理由なんてない。
つまり、シェルスフィアともとの世界では、時差があるということになる。
『それよりマオ、どうしてそんな船の上に居る? 帆を見たがもしや海賊船か…?』
「あ、えっと…あたしがまたこっちに来たのは昨日なんだけど、何故だか海の真ん中に落ちちゃって…そこをこの船の船長に助けられたの。今は港まで置いてもらってる身」
『……そうか。いろいろと気にかかるが、今ここで議論してもしょうがない。距離も遠く交信魔法は長くはもたないんだ。マオ、このカラスはリシュカの魔法で作られていて、魔力の無い者には視えない。その船にはどれくらい魔導師が居る?』
「あ、えっと…魔導師は今、居ないって。あたしがその、咄嗟についた嘘で、今この船の魔導師ってことになってる」
言いながらなんとなく情けなくなって、自然と視線が下がる。
シアの前でそれを名乗るのは烏滸がましい気がした。
白いカラスは、予想に反して穏やかな声音で続けた。
『賢明な判断だ。まずは命を大事にしてくれ。それにあながち嘘でもないさ』
「…そう、かな…」
『お前の中に何かが居るかどうかは別として、お前自体に素質はあるはずだ。このカラスが視えているのだから』
そうなのだろうか。
あたしに、魔力が?
少しくらいの力なら、あるの?
もしかしてシアには、あたしの姿が見えているのかもしれない。
励ますような優しい声音でそう言われて、少し胸が軽くなった。
この船での役割を、少しは果たせるかもしれない。
『そのカラスに、ある物を持たせた。あるか?』
「え、待って」
言われてカラスの居る窓枠に目を凝らす。
カラスは近づいても逃げなかった。
その、足元に――
「あった、布にくるまれた…何これ」
『開いてみろ』
言わるがままに、布を開く。
次第にその姿が顕(あら)わになる。
自らの手にとって。無意識に鞘から抜いたそれに、月の光が反射する。
「…短剣…?」
『一応防護の魔法をかけてあるが、一回きりしか発動しない。それに時間が経つにつれ効力はなくなる。剣だけでも無いよりはマシなはずだ。護身用に持っておけ』
片手の平に収まる柄。
同じくらいの真っ直ぐな刀身。
果物ナイフほどの、細身の短剣。
だけど果物ナイフなんかとは違う。
柄には装飾の石が嵌めこまれ、月明かりに煌めいている。
思わずため息が零れるくらい、綺麗な短剣だった。
『裏を見てみろ。紋章があるはずだ』
「…うん、ある」
くるりと裏返すと、金属の柄に深く刻まれた紋様があった。
どこかで、見たことがある気がする。
『シェルスフィア王家の紋章だ。いざとなったらそれを翳せ。おれの名を使っても構わない。身を護れ』
きっぱりと言い放ったその声音に、胸が疼いた。
シアがここまで自分の身を案じてくれていること。
一国の国王である自分の名を…容易に貸せるものであるはずがないその名前を、はたから見たら一介の小娘に過ぎないあたしに、預けてくれた。
その心にじわりと涙が滲む。
刃を鞘にしまい短剣を強く胸に抱いた。
シアの心に報いたい。
それが心の内に浮かぶ。
「…約束する。死なないよう、努力する」
『…ああ、信じている。港へはいつ着く予定だ?』
「2日後、イベルグ港って言ってた」
『わかった、迎えの者を出す。船と船長の名は?』
「船は、アクアマリー号。船長は…フルネームじゃなくていい? 覚えることたくさんあって忘れちゃったの。船長の名はレイズ」
『はは、マオらしいな』
それからふと不安になって口に出す。
レイズは海賊で、シアは国王だ。
「シア、この世界での海賊の扱いって、どうなってるの…? やっぱり犯罪者なの? あたしこの船には助けてもらった恩があるの」
『…そうだな。現状の国内での海賊たちの立ち位置は、少し複雑だ。いま説明してやれる時間もない。ただ、安心しろ。マオの恩人ということは心に留めておく』
シアの返事にほっと胸を撫で下ろす。
良かった、映画や小説みたいに、捕まってひどいことをされたらどうしようと思った。
それからはっと無意識に握っていた胸元の違和感に、漸くこの世界に再び来た目的を思い出した。
「そうだ、シア! ネックレスを見なかった? 石が付いている…ここで失くしたとしか思えない。死んだお母さんのお守りなの、それを見つけたくて、あたしはここに来たの…!」
あたしの目的。
それだけはどうしても、取り戻したいもの。
白いカラスは沈黙している。
失くしたと気付いたあの絶望的な気持ちが、胸に蘇る。
ここになかったらもう、二度とこの手に戻ってこない。
それからシアの落ち着いた声が、ようやく返ってくる。
『それならおれが持っている。バルコニーに落ちていた。青い石だろう?』
「…! そう、それだと思う、良かったやっぱりここにあったんだ…!」
シアの答えにあたしは思わず力が抜けて、そのまま床にお尻を着く。
いろいろと張りつめていた気持ちがゆっくり解けていく気がした。
「…それ、シアに預けておく。持っていて、シア。あたしは別のお守りをもらったから、だからあたしがこの剣を返すまで、代わりにして」
『…わかった。そうする。お前の大事なものは、おれが預かる。必ず無事で会おう、マオ』
シアの言葉にあたしは微笑む。
それからその言葉を最後に、白いカラスは何もしゃべらなくなった。
だけどカラス自体はまだ、ここに居る。
まるで本当に生きているみたいに、その透明な瞳にあたしを映して。
もしかしたらそういう魔法なのかもしれない。
このカラスが居てくれれば、またシアと連絡がとれる。話ができる。
それはシアが見守ってくれているということだ。遠く、離れていても。
そう思うと、涙が出るくらいに安心した。
のろのろと潜り込んだベッドで夢も見ずに、あたしはあっという間に眠りに落ちていった。