アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 そう言ったのは、リシュカさんの傍に控えていたクオンだった。

「王城仕えでしたので一般の魔導師よりは神々に対する知識もあります。相性というのは分かりませんが、魔導師としての才もある程度は自負しております」
「あなた、兵士じゃなかったの?」

 思わず口にした疑問に、クオンは冷たい一瞥をくれシアに再度向き直る。
 分かってはいるけど嫌われている。
 あたしは一時はシアを見捨てたのだから当たり前か。

「…クオンはシェルスフィアでも希少な、剣と魔法両方に優れた才を持つ騎士だ。王城仕えの騎士隊隊長でもあり、おれも信頼を置いている」
「勿体ないお言葉です」

 確かにクオンは、シアの忠実な臣下のようだ。 
 それは出会った時から身を持って感じていた。
 それにシアのこの姿を見ても咎められない人物というのは、そう多くないはずだ。

 シアはじっとクオンを見つめて思案した後その視線を再びあたしに向ける。
 既に口を挟む領分ではなくなっていたので、シアの視線にあたしはたじろいでしまう。

「…もとは、マオの護衛にとクオンを呼んでいた」
「えっ、そうなの?」
「お前はシエルに狙われているからな。リズやリシュカをお前につけるわけにはいかないし、国境の結界を越える相手が居る以上、もうどこもあまり安全とは言えない。お前を守るにはある程度有能な魔導師が必要だ」

 シアがそこまで考えていてくれたことが純粋に嬉しかった。
 あたし自身、力不足の自覚はあってもそこまで自分の状況が危険だとはあまり感じていなかったのだ。
 それからシアが渋々ながらに溜息を吐き、クオンに向き直る。

「あまり気は進まないが…頼めるか。クオン」
「仰せにのままに」

 クオンの言葉にシアがすっと背筋を伸ばし表情を引き締める。
 クオンはそれに応えるように、シアの視線を受けて膝を折って頭を下げた。

「クオン・アーカイン。シェルスフィア王国国王の名において命ずる。深層の祠にて我が国の益となり得る情報を持ち帰れ。可能な限りで構わん。だが現状において易々と有能な魔導師を失うわけにもいかん。死なぬよう、最善の手を尽くせ」
「御意」
「それからついでに」

 そう言ったシアは、少しだけ“国王”の顔を崩して笑う。
 苦笑いにも似た笑みで、あたしとそれからクオンに視線を流して。

「マオのことも守ってくれ。これは流石に国王命令とはできんが、おれ個人としての頼みだ。マオを、頼む」

 シアに頭を垂れたままのクオンが一瞬視線を上げあたしを横目で見る。
 不本意だという気持ちが嫌でも伝わってきて、だけど流石にあたしは何も言えない。
 それから僅かな間を置いて、クオンは静かにまた頭を下げた。

「ジェイド様のご命令とあれば、この身に替えても必ず」
「だからそれはやめてってば、あたしの所為で死なれても困る」

 思わず口をついた言葉にクオンがじろりと容赦なく睨んだ。
 しまったと思ったけれど、口から出てしまったものは仕方ない。
 何より本心だ。
 そんなあたし達にシアが声を出して笑った。

「お前らなかなか相性は良さそうだ。マオ、丁度良い。これはお前に返そう」

 他人事のようにシアは言って、テーブルの上に置いたままだった短剣をあたしに差し出した。
 反射的に受け取りながら目の前のシアを見つめる。

「剣も魔力の使い方もクオンに習え。クオンはその両方において優れた師となるだろう。お前も決して死なぬよう、約束してくれ」
「…うん、わかった」
「またしばらく離れるのは寂しいが、今度もリシュカの使い魔をつける。何かあったら声をかけろ」
「本当? 嬉しい、あのコには結構元気付けられてたから」

 いつの間にか姿を消していた白いカラス。
 シアの姿は見えずともシアの声を伝えるそれは、遠くに居ても近くに居ると思わせてくれた。

 思わず胸を撫で下ろすあたしに、シアが意味ありげに笑ってリシュカさんに視線を向ける。
 相変わらずリシュカさんは無表情のままだったけれど。

「トリティアの言葉も気になるし、おれは城に戻って少し調べなくてはならないことがある。マオ、クオン。報告は怠るな。何か情報や進展があったらすぐに報せろ。そして必ず、無事で帰れ」

 最後にシアはそう言って、また国王の顔に戻った。
 そしてあたし達は再び、暫しの別れとなった。

「待ちなさい」

 部屋を出るあたしをそう呼び止めたのは、リシュカさんだった。
 その言葉に足を止め振り返るあたしの元へ、つかつかとリシュカさんが歩み寄る。
 相変わらずの冷めた眼差し。歩くたびに光る長い金色の髪。
 思わず身構えるあたしの目の前でリシュカさんは止まり、あたしを上から見下ろした。

 そういえば以前もこんなことあった。シアの命令であたしの服を乾かしてくれた時だ。
 あの時と同じようにリシュカさんがその右手を黒いローブから差し出し、あたしは思わず首を竦める。
 叱られると反射的に思ったのはやましい心があったからかもしれない。
 一度はシアを裏切り見捨てたのだという。

 だけど次の瞬間あたしが感じたのは、思ったよりも優しく触れた指先だった。
 細い指先がそっと触れたのは、あたしの首筋。
 淡く光るリシュカさんの指先と、温もりに混じる不思議な感覚。
 そこにはついさっきクオンの切っ先で切れた傷跡があった。
 深くはないので僅かな血を流してすぐに乾いた血の跡。
 自覚した途端にほんの少しだけ疼いた痛みは、あっという間に消えてなくなった。
 リシュカさんが、治してくれたようだった。

「なんだ、優しいじゃないか」

 リシュカさんの後方でシアが茶化すように言う。 
 リシュカさんは表情を変えずそれに答えた。

「まだこの娘を信用したわけではありません。ですがその決断と情報にはそれ相応の対価があっても良いと思ったまでです」
「まったく堅苦しいなお前は。素直に感謝も述べられないのか」
「それは聞き捨てなりませんね。私がいつこの娘に感謝したというのです」
「ああもういい、お前と話してると眠くなる。マオ、良かったな。この国で治癒魔法が使えるのはごく僅かだ。リシュカの腕は国内随一だぞ」
「そ、そうなんだ…」

 確かに痛みはすっかり綺麗に消えた。
 それよりもリシュカさんがシアの命令ではなく自分から、あたしの傷を治してくれたことの方が驚きだ。

「…ありがとう…ございます」

 その指が肌から離れるのと同時に、どこか間抜けな声でお礼を言う。
 相変わらずの無表情。
 だけどその瞳をもう冷たいものだとは思わなかった。

「貴方を疑うのは私の役目です。私の信用を得たいなら、相応の結果と誠意を見せなさい。でなければ貴方の命を奪うのは私になります」
「…分かった。努力します」

 そういえばこの国に来て一番最初に殺されそうになったのは、リシュカさんにだっけ。
 不思議と懐かしい。なんだか随分昔のことにように思えた。
 シアの傍にはこの人が居るなら、シアは大丈夫だ。きっと。

 そうしてあたしとクオンはシアの隠れ家を出て港町に出た。
 思えば突然ジャスパーの前から姿を消したままだ。
 きっと心配をかけてしまっている。
 それを思うと罪悪感で胸が痛んだ。

 戻って謝り、そしてレイズにお願いをしなくてはならない。
 北の祠へは船でしか行けなかった。

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