アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
2
「…あれ、真魚、そんなブレスレット、してたっけ? バイト先のお土産ものか何か?」
ふいに言われて七瀬の視線の先、自分の右手を持ち上げる。
そこには赤い色に黒い紋様が入った石がいくつも連なったブレスレットがあった。
あたしがバイトしている水族館には売っていない。見たことない。
これは…この石の名前は――
「…ジャスパー…」
理由もわからず、涙が滲んだ。
この石は、彼がくれた心の証だ。
あたしのこと、家族だって言ってくれた――
見捨てられた気になっていた。一方的に、身勝手に。
この世界のこととか、家族のこととか、友達のこととか。
なにひとつ分かっていなかったのは、分かろうとすらしていなかったのは、きっとあたしだけ。
あたしだけだったんだ。
「…真魚?」
「…七瀬ごめん、あたし学校に忘れものしちゃったから、戻らなきゃ」
そう言ったあたしの腕を、七瀬は掴んだ。
それはとてもゆっくりとした動作に見えた。だけど掴まれた腕は熱くて痛い。
遠く、蜩の声。
まっすぐ、七瀬があたしの顔を覗き込む。
何かを感じ取ったように、その瞳が揺れていた。
あたしは黙って見つめ返す。
「…俺も、付き合うよ…?」
あくまで優しい声音で言う七瀬に、あたしはふるふると首を振る。
もうこれ以上、七瀬の優しさに甘えることはできない。
あたしはあたしの気持ちを、知っているから。
そっと七瀬の手に自分の手を重ねる。
その手の感触が、夜の海にひとり置いてきてしまった人の手の感触と重なった。
信じて待ってくれているひとが居る。
もうひとつのあの世界で。
「ありがとう、七瀬。でもあたし、七瀬には何も返せないから。ごめんなさい。あたし、気になるひとが居る」
――忘れたかったのだろうか。
あの世界でのこと、あたしは夢にしたかったのだろうか。
どうして忘れてしまうのだろう。こっちに戻ってくると。
でもどうしたってこの心は、彼を忘れることはできないのだ。
彼の声があたしの胸を、何度だって熱くするから。
あの世界の青がどうしたって、あたしの今までのすべてを、何よりも青く染め上げてしまうから。
「…それは…昨日の返事、ってことだよね」
笑っているのに七瀬の顔が少しだけ陰る。
あたしはゆっくりと頷いて、だけど七瀬の視線から逸らさないよう向き合った。
『――マオ、言いたいことはちゃんと言わないとダメです。家族の内の誰かがひとりでも幸せじゃないなんてイヤです』
ジャスパー、そんなこと言ってくれるの、ジャスパーぐらいだと思ってた。
だけど本当はあたしが耳を塞いでいただけで、目を閉じていただけで。
「あたしなんかのこと…好きって言ってくれて、ほんとうに嬉しかった。あたしも、七瀬のこと、好きだよ。だけど…友達以上には、みれない。失いたくないけど、戻れなくても、これ以上七瀬にだけ嫌な思いをさせられない」
聞こえていなかっただけなのかもしれない。
見えていなかっただけなのかもしれない。
自分が傷つかない為だけに他人を傷つけて、ないがしろにしていた。
そうして自分を、自分だけを守ってきた。
「――…そっか。ありがとう、ちゃんと返事をくれて。…それから」
七瀬はそっと瞼を伏せて、それから掴んでいた腕をゆっくりと離す。
「自分のこと、なんか、なんて言わないで。俺はそっちのほうが、嫌だよ」
少しだけ言葉に詰まりながら、だけどどこまでも優しい七瀬にあたしもできるだけ笑って頷いて、重ねていた自分の手を離す。
それから七瀬を置いて来た道を引き返した。
目指す場所は決まっていた。
――旧校舎のプールがあと2日で取り壊される。
それはつまり、あたしにとって唯一の“出入口”を失うということ。
そしたらあたしは、もうシェルスフィアに行けなくなる?
ううん、それとも…この世界に、帰ってこれなくなる…?
分からない。だけど。
今は戻らなければいけない。
それだけが確かだった。