アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
一閃、弾ける火花。
甲高い金属音が部屋中の空気を揺らした。
ぶつかり合う衝撃を受け流し、場所を変えながら体勢を立て直す。
数歩下がった所で足が壁にぶつかった。
いや、違う。ドアだ。
頭に血が昇っていたとはいえ、ここは室内。場所が悪すぎた。
ドアがそのまま大きな音を立てて閉まる。
その時だった。
「――…!」
魔力の動く気配。
それと同時に、すぐ目の前に居たはずのレイズの姿が消えた。忽然と。
しんと静まりかえる部屋に、響くのは小さな寝息だけ。
その姿を見つめ、ようやく我に返る。
そうか、今のは。身に覚えがある。
結界だ、マオの。
以前自分も追い出されたことがあるのだ。マオの一言で、結界の外に。
あれからも何度か、マオは無意識下で自分の領域と思われる場所に結界を施すことがよくあった。昨夜もそうだ。
おそらく今レイズは、部屋の外。
この結界はそう容易く破れない。身を以て立証済だ。
今の状況から察するに、ドアを閉めるのがマオにとっての結界の条件のようだ。
マオが許可した相手以外、呼ぶまで。ここには入ってこられない。絶対に。
ならば、なぜ。
自分は内側(こっちがわ)に、居るのだろう。
「――…あれ、クオン…?」
見つめる先で、マオの瞼がうっすらと開けられる。
どきりと、したのか。ぎくりとしたのか。
解らないままマオに見つからぬよう、体の影で刀身を鞘にそっと収めた。
今更ながら、どうかしていた。
マオが寝ている横で、大の男がふたり、剣をとりあうなんて。
「…具合が悪いのですか」
「ううん、ちょっと…眠くなっちゃって」
体を起こしながら、こどものような仕草で目元をこするその隣りに近寄る。
まだ眠そうな顔にかかる乱れた髪を、そっと耳にかけてやると、マオがその目を丸くした。
「…どうしたの、クオン」
「なにがですか」
「…や、なんか珍しい顔してるというか…」
ギシリと、ベッドが鳴る。増えた自分の体重の分だけ、軋むベッド。
壁についた手の中から、マオが自分を見上げる。その瞳が揺れた自分を映していた。
部屋の隅、カンテラの橙色の明かりが作る濃い影が、隙間を埋める。
「どうして、泣きそうなの…?」
すぐ目の前。吐息がかかるほどの傍に近づいても、マオは警戒する素振りはない。
無防備過ぎるのだ。分かっていない。男というものを。
もっと他人より自分の心配をすべきだ。
「……なんでも、ありません」
「そうは、見えないけど…」
食い下がるマオの視線から逃げるように、その細い肩に自分の額を預ける。
マオが一瞬だけ体を強張らせ、その間で動揺が伝わり内心ほっとした。
困るのだ。すべてを許されてしまっては。
「…以前、言ったことを」
「え、う、うん…?!」
まだ尚離れない距離にか、戸惑ったままのマオの大げさなくらいに上ずった返事に思わず苦笑い。
その吐息が首筋をかすり、マオが小さく身じろぎをした。
その反応が、自分の腹の内の得体の知れぬ内臓を掴む。
噛み付いてしまおうか。
そうしたらすぐにでも、結界の外に追い出されるだろう。
それは止めておく。
自分はこの少女の、敵ではないのだ。
「イベルク港の隠れ家で、以前貴女に言ったことを覚えていますか」
ようやく体を離した自分にマオはあからさまにほっとし、自分の言葉に耳を傾ける。
「えっと…なんのこと? あたしがクオンに怒られた話?」
自分の腹の内とは反対の、気の抜けた笑みを浮かべてマオが答える。
なるほど自分はそういう印象なのか。
まぁ当然だろう。確かに出会ってからこれまで、怒ってばかりいる気がする。
別に怒るのが趣味ではない。マオに怒らせる言動が多いだけだ。
「武器も従者も、主の為に消費されるものであると。それが臣下の役目だと、そう言ったんです。私は」
――以前。マオに言ったのだ。
殿下の為に――ジェイド様の為に死ぬべきだと。
それが臣下の義務であると。
「取り消します。確かに貴女は殿下の臣下ではない。あなたがその命をこの国の為に差し出す必要は、ありません」
「…クオン…?」
「貴女は言っていましたね。殿下を、守ると。その心だけ、忘れないでいてくだされば…後は何も要りません」
イリヤの言っていたことは正しい。
マオには帰るべき場所がある。きっと待っている人も居る。
この国が、この世界が自分にとってそうであるように、マオにもきっと。
「例え誰の為であっても。それだけは決して選ばないでください、マオ」
この国を、殿下を守るのは我々の役目だ。
マオの役目ではない。
今ならそう言える。
あの時とは違う、今なら。