アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
3
「――あれ? なんだ、普通に開くじゃないですか。レイ」
その言葉と共に、開けられるドア。ひかれるように、室内の空気が流れ出す。
ぴたりと、目の前のクオンの動きが止まった。
鼻先を掠めるほど近くにあったその顔が、僅かに歪む。
何かが。唇に触れたのは気のせいか。状況を理解する前に、反射的に揃って声の方へと向ける視線。
その先には、お盆を持ったまま不思議そうな顔をするジャスパーと、その後ろにレイズが居た。ものすごく不機嫌そうな顔をして。
「…あ、ごはん?」
「ええ、レイがここへ運べと。クオンの刺青ですか?」
「あ、あぁ、うん…いま終わったとこだけど」
「じゃあ夕飯、テーブルに置いておきますね」
言って、窓際のテーブルへと歩み寄り、お盆を置く。
ギシリとベッドが鳴って、クオンの体重が移動した。あたしから僅かに距離をとって。
「あ、クオン、刺青が乾くまでは触らないでね。通常のと濃度変えてるから、10分くらい経ったら服着て大丈夫だよ」
「…分かりました」
頷いたクオンが、シャツにかけていた手を解き、体勢を起こして立ち上がる。
それから何故かドアの所で立ったままこちらを見据えるレイズと目を合わせた。
というか、分かり易くお互い睨み合っているようなかたちだ。このふたりに何かあったのか。
良く見たらレイズは、片手に剣を持っている。鞘から抜かれた状態のそれは、緊急時の合図だ。
どきりとして、レイズに声をかける。
ここはこの世界で一番危険な北の海。いつ何と遭遇してもおかしくないのだ。
「レイズ、剣。何かあったの?」
「――ねぇよ」
低く呻くように言ったレイズが、今度はじろりとあたしを睨む。
その迫力に思わず口を噤んだ。ほぼ反射的に。
え、なぜ。
というか、さっきからなんなんだこの空気は。
訳も分からずジャスパーに視線を向けると、困ったような苦笑いを返された。
まったくもって、意味がわからない。
「ほら、レイ達も夕食済ませてきたらどうですか。もうすぐ次の交代時間ですよ」
そう言ってなんとかジャスパーがその場を解散させてくれたおかげで、気まずい空気から抜け出すことはできた。
話したいから夕食に付き合ってとジャスパーにお願いしたら、快く部屋に残ってくれた。
馬が合わないふたりだとは思っていたけれど、何かケンカでもしたのだろうか。必要時以外会話すらしないふたりが。
そうぼやきながら、ジャスパーが持ってきてくれたスープに口をつける。野菜と干した鶏肉の、塩気の効いた温かなスープ。
空腹に沁み渡る。そういえば今日は朝以来、何も食べてなかった。
テーブルに座るあたしの向かい側にジャスパーも腰を落ちつけながら、仕方なさそうに笑った。
「レイがあの顔でぼくのところに来て、ドアが開かない、マオに締め出されたっていうから、何事かと思ったら…クオンも中に居たんですね」
「うん、起きたら居て…って、ドアが開かない? 本当に? もしかしたらまた、勝手に結界張ってたのかも。クオンにも怒られたんだよね、無意識下というのが一番厄介だから、もう少し制御できるようになれって」
「マオのお師匠ですもんね。レイとは元からそりが合わないみたいでしたけど…でも、クオンがマオ以外の相手にあんな分かり易く感情を顕わにするところ、初めてみました。悪い意味でですけど」
そう言われて、ふと先ほどのクオンを思い出す。
明らかにいつもと様子が違った。
クオンのあんな表情も、言動も、初めてだ。
結局いまいち、その言動の理由は分からなかったけれど。
思わず、自分の口元を押さえる。
触れた、気がした。クオンから。
でもありえない。ありえたとしても偶然かなんらかの意図があるはずだ。
レイズとは違う。あの、クオンなのだから。