アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 その声は。

「エル、本当にお前じゃなくて、オレでいいのか。契約をするのは」
『ああ、相性というものがあるからね。アトラスは気性が荒く短気で単純で喧嘩好き。アールとは相性が良いだろう。それに戦の話にも食い尽くさ』
「海の神ってのは、そんな単純なモンなのか」
『そういうものさ。能力以外でたいした差などないんだよ、彼らと僕らにね』

 エル――シエルさん。
 シアのお兄さん。
 ここに居るはずのない人。
 そしてこの戦争のひきがねをひいた人。

 どうして向こうに居るのが、彼なのか。
 悪い予感、想像が頭を掠める。
 目の前が眩んで吐き気がする。

 そこにこの人が居るということは――シアは?
 シアは、どうなったの。

『この海域の神はリュウのセレスがすべて掻き消した。アトラスの貴石もある。供物もある。呼べばまっすぐ、こちらに来るだろう。扉さえきちんと繋りさえすれば』

 シエルさんの言葉に後押されるように、アールが袋を取り出し、その中身を次々と泉の中に放る。
 大きな音と飛沫を上げて投げ込まれるいくつもの石。おそらく貴石だ。赤い、石。

 アールがジャスパーの腕を掴み、乱暴に引き寄せた。
 ジャスパーが痛みに顔を顰(しか)める。

「ジャスパー! やめて、乱暴にしないで!」

 手を伸ばすあたしをリュウが片手で制しながら、アールの作業を引き継いだ。
 残る貴石をどこか乱暴に泉に落としていく。
 アールはそのすぐ傍で、身に纏っていたローブを脱ぎ捨て上半身を顕わにした。

 ジャスパーは泉に突き落とされるも、泉はジャスパーの膝くらいまでの嵩しかなかった。溺れる心配はなさそうで少しだけほっとする。
 それから中央へ行けと促され、黙っていうことを聞いていた。極力表情を、感情を消しながら。

 泉が貴石で満ちていく。
 赤く、染まる。
 それはまるで。

 そうして作業と準備を終えた場を見計らうように、カラスの羽音がその場に響いた。

『――君の落し物だ。とりにおいで。海神――アトラス』

 白いカラスが凛とした声で呼んだ。

 つんざくような、キィン、とした耳鳴り。
 それが止み、辺りが一瞬静まり返る。
 そして泉が淡い光を放った。
 それから地を割くような大きな地鳴り。足元がすくわれる。立っていられない。
 隣りでイリヤが悲鳴を上げて倒れた。

「……な、に…?」
『リュウ』

 その言葉を合図に、リュウがあたしを抱き寄せた。イリヤの抗議を一瞥で黙らせ、それから短剣をあたしの喉に突き付ける。

「トリティアを出せ」
「…っ」

 分かり易い脅しに怖気づく。
 自分の身ではない。
 今泉の中に居る、ジャスパーの身が心配で堪らなかった。

 もしトリティアが呼びかけに応えて出てきてくれたとして――そしてリュウが言うように仲介役をし、彼らが望んだ神さまが、ここに来たら。

 ジャスパーは、どうなるの?
 おそらくこれは召喚の儀式。
 その中心に居るのは、ジャスパーだ。

 ずっとひっかかっていた言葉がある。
 “供物”――それは、捧げもの。神様への。

「嫌…!」
「無駄なあがきを。お前は所詮、他人を見捨てることはできないだろう」

 言い捨てたリュウが、もう片方の手を虚空に翳す。
 その手が淡い光を放つ。
 その瞬後、イリヤが喉元を押えて倒れ込んだ。

「イリヤ…?!」
「マ、オ…!」

 苦しそうにもがくその姿に、怒りで胃液が込み上げるのを感じた。
 目の前のリュウを、思い切り睨みつける。

「イリヤの力も必要なんじゃないの…?!」
「順序がある。まずはアトラスをここに呼べなければ、彼女の力は無用だ」
「…ッ」

 せり上がる。腹の底から。
 噛みしめた唇に鉄の味。
 目の奥でちかちかと火花が散る錯覚。

「はやくしろ。彼女の喉がつぶれるぞ」

 悔しい。こんな時に自分は、なぜ何もできないのか。無力なのか。
 ――悔しい。
 涙が溢れた。
 悔しくて、こんなにも、哀しい。


「……トリティア…!」


 自分の力では、誰も守れないことが。

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