雨の降る世界で私が愛したのは
客が十人入るのがやっとの細長い店内に今晩客は一人だけだった。
その客の前に一凛の作った八宝菜がずっと置かれている。
餃子は作ったことはあったが、あとはほとんど作ったことのないチンジャオロースやホイコーローなど、慣れない中華料理を一凛はたった半日で覚えさせられた。
主人は一凛は筋がいいといい加減に褒めたが、もし作り方を忘れたらこれを使うといい、と市販の素を指差した。
箱の裏に書いてある材料を切って混ぜるだけだから簡単だと言い、結構イケルとつけ加えた。
テレビコマーシャルでよく見かける大手食品会社のものだった。
まかないはそれらの素から好きなものを選んで自分で作って食べることになっている。
働き始めたその日キッチンの隅で麻婆豆腐を食べていると足元を大きなゴキブリが横切った。
悲鳴をあげて立ち上がった拍子に持っていた皿を床にぶちまけてしまった。
最近は丸々と太ったゴキブリを見ても動じなくなった。
人はどんな状況にも慣れるものなのだなと思った。