記憶の中の記憶
その事を書いているのか、しばらくカリカリと言う音が、響き渡った。

「記憶が戻らなくても、普通に生活している方は、たくさんいらっしゃいますよ。」


先生が浮かべた笑み。

医者でも、営業スマイルをするのだと、この時知った。

「それとも、もう少しだけ退院を伸ばしますか?」

先生が何気ないその一言が、私にチャンスをくれたのだと思った。

「できるんですか?」

思ってもみない先生からの提案に、私は身を乗り出した。

「そうですね。今のところ病室も、まだ空いていますし。何より身寄りがない方は、申し出が通りやすいんですよ。」

「身寄りが……ない……私が?」

私は先生の言葉に、顔を歪めた。

「……ええ。ご両親は亡くなっていると、伺っています。ご兄弟もいらっしゃらなく、親戚ともあまり交流がないと……」
< 37 / 146 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop