cafe レイン
「そういえば俺、名前知らない」
「……本当ですね。楓です、小野寺楓」
「楓。可愛い名前。俺は拓だから、拓って呼んで」
「えっ、無理です」
「拓って呼んで欲しい。それにいつの間にか俺、敬語抜けてるし。どちらかといえば、こっちが素だから。一応、カフェオーナーとしてちゃんとした大人を演じようとしていたというか」
「え、そうなんですか?」
私は目をパチパチとさせる。
「そう、だからいつ幻滅されるかってドキドキしてた」
「しません!」
すぐに私が否定すると、今度は丸山さんが目をぱちくりとさせた。それからふっと笑って左手を私の頬へと持っていき、するりと滑らせる。
愛しい人を見るようなその目。触れられている箇所が熱い。
「……覚えてる? 俺が映画館で寝ちゃった話した時のこと」
私はそれにコクリと頷く。
「完全に自分が悪いと思っていた俺に、君は二人が楽しめる映画を見たいって言ってくれたんだ。その時にこの子となら楽しい毎日を送ることが出来るんじゃないかって思った」
丸山さんが私の唇を親指でゆっくりとなぞりながら、続けた。
「初めてお店に来た時、君は一人でいたのに手を合わせて小さくいただきますって口にしてから食べ始めていた。その時はまだ気になる女性だった。偉いなって思うだけで。その日から君は毎日来てくれた。毎日、いただきますってしてから俺の作ったサンドウィッチを食べ始めた。すごく嬉しそうに食べるから、俺まで嬉しくなってた。気付いたら好きになっていたんだと思う」
「……丸山さん」
知らなかった。そんな風に考えてくれていただなんて。
〝凄い些細なことかもしれないですよ? 例えば、美味しかったって帰り際声掛けたとか”
沖くんがそう言っていたことを思い出す。本当にきっかけなんてそんなもんなんだ。