素直にバイバイが言えるまで
もうバイトなんかしていない龍吾が、ここにいるわけでもなければ、待っているわけでもない。


それなのに私は、駐輪場に投げ捨てるように自転車から降りると、大好きな書籍のにおいを無視し、2階のレンタルコーナーへ駆け上がって行った。


けれども登りきったところでピタリと足が止まった。


肩で息をしている自分の気持ちを落ち着かせようと、足下に視線をやって、履き慣れたコンバースのつま先を見ていた。


龍吾と色違いでコンバースを買ったことがあった。


たったそれだけでも嬉しくて、狭い玄関で仲良く並んでいるコンバースを見て、ニヤニヤしながら毎日仕事に行ったことが懐かしく思える…


小さな喜びが、私のビタミン剤だった。


大変だった日も、嫌なことがあった日も、年下のくせに私より落ち着いた性格と鋭い視点で私をなぐさめてくれたり、励ましてくれたりした。


時にはちゃんと厳しい意見を言ってくれた龍吾は、間違いなく頼もしい存在だった。


ーー今でも好き。大好き…


階段の隅で立ち止まっていた私のことを心配したのか、サラリーマンのおじさんが大丈夫ですか?と声を掛けてくれた。


「大丈夫です」


そう答えるのが精一杯だった。
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