妄想は甘くない
社内であんな風に髪を下ろしたことがなかったし、そもそも彼はわたしを誰だか知らないだろう。
だからこうして、陰ながら見つめているだけで十分。そう割り切っていたはずだった──
「入院っ!?」
突然降って湧いた事件に目を白黒させてしまった。
わたしの席まで説明に来た課長が、向いの関根さんの席に目をくれて、神妙な面持ちで続けた。
「そう、バイクの事故に巻き込まれて軽い骨折だって。それでね、宇佐美さん。悪いんだけど復帰して来れるまで関根さんのエリアも担当して貰えないかな?」
課長の視線には少なからず“リーダーなんだから”という圧が込められているように感じた。
「……わかりました」
いつもサポートしてくれている彼女の容態が心配で眉を顰めつつも、返事を取り繕う。
彼女の支援なしにふたり分の仕事をこなせるのか不安が過ぎったが、断ることなどもちろん出来ず、課長の手にしていた書類を受け取った。