妄想は甘くない
眉を寄せ見上げた瞬間、終業を告げる鐘が響き渡る。
営業部のフロアは定時で上がる社員は少ないとは言え、空気が変わったようにざわついた物音が聞こえ始めた。
そろそろ退社する者が廊下へ出て来てもおかしくないと、考えたのはわたしだけではなかったらしい。
「入って」
大神さんがすぐ側の会議室のドアを開き、目で促した。
一瞬浮かんだ躊躇う気持ちはすぐに掻き消されてしまい、いざなわれるように歩を進めた。
またもや狭く暗い空間にふたり閉じ込められ、張り詰めた空気を纏った身体はぎこちない。
扉の外を数人が行き過ぎる気配を察知して、ごくりと唾を飲み込んだ。
側に立っている人がわたしの方へと向き直るや否や、顔の横に腕が伸びて来た。
見上げた時にはもう、音もなく壁を突いた指先と鋭い眼差しに圧倒され、背中が後ろへ倒れてしまった。
まるで自分の小説さながらのシチュエーションだけれど、妄想よりもずっと肌のキメや髪の一本一本が目に焼き付いて、生々しい。
真ん前の濡れた瞳が、射抜くようにわたしを見つめていて、あの日を思い起こし胸を熱くした。
あなたが頭から離れないなら、それならいっそ、知ってしまえば
眉間に力が篭もり唇を結んでいると、更に距離が詰められ前髪が触れ合う。
見下ろす睫毛を眺めていると、開かれた唇が色っぽく、心臓の高鳴りが身体に響いた。
「案外……宇佐美さんも、好奇心が勝ってしまうタイプなんじゃないの」
「……大神さんに……言われたくない」
「今度はもう、止めないよ」
彼の顔が視界いっぱいを埋め尽くし、状況を脳裏に浮べるが早いか、唇が重なってしまった。