鬼の生き様
山南は挨拶回りは軽く済まし試衛館に戻ると、左之助に関してはいつものごとく道場でゴロゴロとしている。
京へ行ったら、慌ただしくなるだろうから、たまには二人で膝を交えて呑もうと居酒屋に来ていた。
「なんだよぉ、てっきり花街にでも繰り出すかと思ったのに」
「すまない。私はどうもああいうところは得意ではないようです」
左之助はげんなりとした顔を見せた。
「それにしてもよ、五十両っていうのは驚いちまうぜ。
サンナンさん、俺は京に行ったら京女とやらを味見しに行くぜ」
左之助は山南の事を〝ヤマナミ〟ではなく、ときより〝サンナン〟と呼ぶ。
山南もその事には気にしてはいない。
もとより、有職読みが流行っていた。
「原田くん、遊びで行くのではないですよ」
分かってるよと言いながら、左之助はがぶがぶと酒を煽った。
「原田くんは、確か伊予松山の方でしたよね」
左之助という男は、なかなか謎に包まれている人物であり、試衛館の仲間たちも素性は今ひとつ分かっていない。
「そうだよ」
「サンナンさんは?」
「私は仙台です」
「仙台っていうとあの独眼竜だろ?」
左之助はそう言うと、つまみの沢庵を右目に引っ付けた。
「えぇ、独眼竜政宗公のところです。
よく独眼竜という言葉をご存知でしたね」
「近藤さんが読みふけてるじゃねえか。
あの…えっと」
「頼山陽(らいさんよう)の書物ですね」
そうそうそれそれ、と左之助は言うと目から沢庵を離して、ポリポリと頬張った。
伊達政宗が〝独眼龍〟のあだなで呼ばれるようになったのは、頼山陽の賦した漢詩からである。
山陽の没後の天保十二年(1841年)に刊行された『山陽遺稿(さんよういこう)』に収められた《詠史絶句(えいしぜっく)》のひとつに、伊達政宗を題を採ったものがあるのだ。
「じゃあ、もしかしてサンナンさんは、伊達政宗の家来とかだったんじゃねえの?」
左之助はそう言うと、山南はしばらく黙り込んだ。
「…嘘か真かは分かりませんが。
山南靱負(ゆきえ)という伊達家の重臣の末裔だと聞いたことがあります」
「へぇ、由緒正しい御家の人なんだな」
山南靱負、左之助は聞いた事がない名前に興味を示そうとはしなかった。