鬼の生き様

 初七日などと喪に服している暇は、壬生浪士組には無かった。
清河八郎らと共に浪士組が東下した際に、共に江戸へと下った総司の義兄、沖田林太郎から手紙があった。


__清河八郎が死んだ。


江戸に戻った浪士組の発起人、清河はさっそく真の目的の攘夷決行に踏み出していた。

「異人達に思い知らせてやるぞ」

信念に燃え滾る清河の計画とは、横浜の外国人屋敷を焼き払い、逃げ惑う外国人を手当たり次第に斬り殺そうという恐ろしいものであった。
清河は、上洛の際に温厚な山南を大激怒させた村上俊五郎や、石坂周造ら同志と共に連判状への署名を集めていたのだ。

 攘夷には資金が必要で、清河は裕福な商人の家に上がりこんでは、押し借りをした。

「我々は攘夷をこれより決行する尽忠報国の士である。
攘夷には金がいるが、日本が夷狄の手に渡ったらいかがなさいますか?」

商家に入っては清河はそう言い、主人を困らせていた。

「異人に日本が乗っ取られてしまえば、金子などもう意味がなくなってしまいますぞ。
ならば今、日本の為に身命を投げうち日本の為に働く我等に金子を貸して頂きたい」

首が胴にのめり込むほどうんざりして主人が金を出すまで、非妥協的な態度を見せ清河は攘夷の為の軍資金を集めていった。


 四月十日には清河は若者数人を連れて横浜に行き、地理の下調べをし、翌日江戸に戻り、同志一同を前にし声高らかに

「四月十五日を決行の日とする」

と宣言をした。

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