鬼の生き様
男は蕎麦屋を見ながら言った。
「よかった、無駄な争いが起こらなくて。
あなたは蕎麦を食べていた途中ですか?」
「だからどうした」
「蕎麦屋の店主がこちらを心配そうに見ている。
もしよければ、私もご一緒してよろしいでしょうか」
知人の詫びに蕎麦でも奢ってくれるのだろうか、歳三には断る理由もなく何も言わずに蕎麦屋へと入って行った。
「旦那様、申し訳ありませんでした。
蕎麦ももう出来上がっておりますが、いかがなさいますか」
粗暴な浪人を相手に、場を鎮めた歳三に主人は低頭平身に頭を下げた。
「やはり清河さんの悪い癖が出てしまったようですね」
全くあの人は、と男はため息を吐いた。
気が短く、何か言われると言いくるめてしまうという厄介な性格で敵も多いという。
「あのお侍さんのお知り合いの方ですか。
先程せいろ蕎麦を頼まれたのですが」
主人はそう男に問いかけると、男はにこりと笑い頂きますと言った。
ひょんな事から相席の昼餉が始まった。
「申し遅れました。
私、山南敬助と申します。
すぐ近くの玄武館で北辰一刀流を学んでいます」
神田於玉ケ池にある玄武館といえば、北辰一刀流の開祖である千葉周作の道場だ。
優男の風貌の男、山南敬助は北辰一刀流の遣い手だという。
「しかし驚いた。あなたが薬屋だとは。
先程の構えを見ていると、姿勢は悪いが隙がない。
相当の腕前とお見受けいたしました」
山南はそう言うと、清河の頼んでいた蕎麦をすすった。
江戸では温かい蕎麦が人気だが、まさか揉め事が起きるとは思わなかった。
せいろ蕎麦はのびておらず正解であった。