四季



日付がかわって、再びの大丘家。この家も春と同じような一軒家だ。春の家は持ち家のようだったが、俺の家は違う。借りている。誰から借りているかはわからない。ものごころついた日からこの家の記憶がある。住み始めたのはおそらく、俺の産まれる前だろう。父親と母親……。
自然と身体に力が入ってしまう。家に帰る時はいつもこうだ。
ガラガラ。
「ただいま」
小さな声で言う。まあ、あいつは起きているだろうが。
しかし、今日は違っていた。ラジオからは深夜放送番組がながれ、酒臭くなった身体を放り出して寝ている。俺は、酒のビンや缶を避けつつ、毛布を持っていき、その身体にかけてやった。
「風邪ひくぞ」
小声で言う。
ふとテーブルの上にある封筒に気付く。お誕生日おめでとうと書かれた封筒の中身は一万円札だった。欲しくないものを貰うよりはけっこうマシだった。
そういえば、昨日は、あの日か……。
忘れたくても忘れられない日。ある春の日、小さな命と引き替えに消えていった大きな命。小学生の時に薄々勘付いていたが、ついに中学生になって本当のことを教えられた。もう、母親はいないのだと……。
周りの連中がすごい羨ましかった。なぜ、俺には母親がいないんだと何回も自問した。もちろん、引き換えだった。残酷な取引だった。こんなことなら……。
あの日から父親は急に優しくなったという。その反動かは知らないが、たまに酒を飲む。そしてそのまま、眠ってしまう。いつもは、深夜だというのに俺の帰りを待っている。それが少し安心すると言えば安心する。
「美春(みはる)……」
そっと微かに母親の名前が響く。父親が発したその声が鮮明に届く。
「……」
テーブルの上の写真立てに飾られた写真。その中で、とびきりの笑顔で写っている女性が誰なのか、いまだにはっきりしない。
妙に喉が渇いてきたので台所に行き、コップ一杯の水を飲む。
部屋に戻る前にトイレに行く。
部屋に向かう途中、月明かりが俺を照らして、細長い影が伸びる。この家にはもうひとつ影が足りない。それを、俺は、欲した。
部屋に入り、すぐにベッドに入る。
なかなか寝付けず、一時間ぐらい格闘し、ようやく眠ることができた。





Father in dream

「なぁ、名前なんだが、春馬(はるま)ってどうだ? ちゃんと美春の春が入っているし」
「もういいの。もう決めたの。名前は大樹。大きく立派に育って欲しい」
「あのなー、俺も親になるんだ。名前も俺が――」
話の途中で医者が俺を呼ぶ。
「大丘さん、少し時間はありますか?」
「ええ、まぁ、ありますけど……」
「それでは、ついてきて下さい」
そのまま俺は診察室に案内された。
「大変申しあげにくいのですが、美春さんの出産には危険が伴います。母体に大きな負荷がかかります。命の保証はできません」
「前におっしゃっていた件ですか……。美春の産む意志は固そうです。だから、産ませてやって下さい」
「……そうですか。もう一度言いますが、命の保証はできません」
「……はい」





病室へと帰る途中、姉弟に出くわした。五歳と三歳ぐらいだろうか、姉が弟の手をひいている。
「きょうだい……か」
その光景を見ていると迷いが生じてくる。
「二0一室ってどこですか?」
姉が訊いてくる。
「この道を真っ直ぐ行けばあるよ」
「ありがとうございます」
必死に作った笑顔であの子達を怖がらせてないか不安が過る。





病室に着いて驚いた。美春の陣痛が始まっていたのだ。
「うー、うー」
医者や看護師があわてて入ってくる。そして美春は分娩室へと運ばれた。それは、美春との最後の別れとなった。

End





大樹 in dream

暖かい腕の中。聞こえる鼓動。安心できる場所。母親に包まれて眠っている。幼い頃の自分。
夢だとわかっているのに……。俺が産まれたのと同時に消えていってしまったのに……。
なぜか消えない母親のぬくもり。
「お母さん、お母さん。みてみて! お母さんの絵だよ」
「あらー、上手に描けたわねー。そうだ、記念に飾っておきましょう」
「わーい」
あるはずのない母親との会話。しかし、母親を想像して描いた絵は今も飾ってある。一度、ぐしゃぐしゃにまるめたが親父が丁寧に引き伸ばして、また飾った。
それが俺の母親だった。

End





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