キャメルのコートは見たくない
この駅から離れたら本当に終わる気がして、もう本当に終わったのに、退社したわたしの脚は往生際わるく駅から遠ざかるほうへ向かった。
月を見上げたら、昨日あのひととの帰り道に見上げた月を思い出して涙が出そうになる。
昨日はスーパーに行った。
あのひととはじめて、家とホテル以外の場所に行った。
食材でいっぱいのレジ袋をあのひとが一人で持って、わたしは隣をついて行って、空を見上げるときれいな三日月が浮かんでいた。
手を繋ぎたくて、できなくて、何か伝えたい気がして、それが何だかわからなかった。
あのひとの家で、一緒にごはんを作った。
ハッピーエンドの恋愛映画を見ながらごはんを食べた。
いつも標準語のあのひとにせがんで、地元の訛りで話してもらった。
なんだかべつの人みたいで可笑しくて笑った。
あのひとの本棚を勝手に漁った。
狭いお風呂に一緒に入った。
わざと寝間着を忘れて、あのひとのパーカーを借りた。
朝が来るのが嫌で、かなりの夜更かしをした。
たくさんつまらないはなしをして、笑って、恋人みたいに過ごした。
喫茶店ではいつもカフェオレを頼むのに、気がついたらストレートティーを頼んでいた。
一口飲むと美味しくて、なのにどうしようもなく、あのひとの淹れたすこし濃いアールグレイが恋しくて、また涙が出そうになる。
どうかしてる。
会社ではいくらでも平気なふりができたのに、ひとりになると、急にいろんなものが降ってきて押しつぶされそうになった。
こんなのどうかしてる。
そこまでいってようやく気づいた。
好きだったんだ。
どうしようもなく、好きだった。