キャメルのコートは見たくない
あのひとが地元に帰ると言い出したとき、世界がひっくり返るみたいに感じたのも覚えている。
最後に会おう、そう言われて会いに行ったあのひとのいつも通りの顔を見たときに、呼吸が止まるほど胸が詰まったのも覚えている。
いつも一方的に話し続けるのに何も言葉が出なくて、きっとその理由だってあのひとはわかっているのに何も言われないことに、勝手に腹が立ったのだって、覚えているのに。
スーパーからの帰り道、本当は言いたいことなんてわかっていたのに、わからないふりをした。
最後が終わって、やっと気づいた。
好きだと気づいたんじゃなくて、やっと、見て見ぬふりなんかできないくらいにどうしようもなく好きになっていたことに、気づいた。
あのひとが好きだった。
街中でキャメルのコートを見たら目で追ってしまうくらいに好きだった。
キャメルのコートがあのひとじゃないとわかるたびに泣きそうになるほど、あのひとが好きだった。
さよならがどうしても言えなくて、またねと言ってしまったくらいに好きだった。
またねと言ったら余計に辛くて泣きそうになったくらい、好きだったんだ。
今はキャメルのコートを見たくない。
それでもわたしはきっと、明日も明後日も、街でキャメルのコートを目で追ってしまうんだろう。
さよならを言えるまで、ずっと。