月と握手を
 ベッドの真横にいたはずが、いつの間にか、目の前で体育座りの格好で浮遊している。驚きで動けない私に、彼女は人好きのする笑みを浮かべてくれた。



「あたしはハル。あなたに伝えることがあって来たの。空の上からね。あたしのことは『悪魔』だとか『死神』だとか言う人間がほとんどだけど、柘季ちゃんはレアだね? 不謹慎だけど、嬉しくなっちゃったな」



 女、もといハルは、手を差し出す代わりにとびきりの笑顔を見せてくれた。彼女は何歳なんだろう。私より年上に見えるけど、同級生と話しているようにも感じる。でも、さっきのナイフを投げ付けるような台詞の後の瞳には、もっと何十年も生きていないと出せないような眼光が宿っていた。尋ねてみると「忘れちゃった。あはっ」と返ってきただけだったので、もしかしたら、何十年どころの話じゃないのかもしれない。

 作品を見て会いたいと言ってくれた著名人たちは、私の年齢を聞くと腰を抜かしていたと、両親が言っていた。十九歳になり、世間では『ようやく作風に年齢が追い付いてきた』とか言われているんだろうか。二年前のあの出来事から、とっくに創作意欲なんてものは尽きているのに。

 父は政治家で、母は国際的にも有名なバレリーナ。そんな二人の間に生まれた私は、何故か美術に秀でることになった。



「羽賀宮柘季。××××年十月一日生まれ。政界とバレエ界で活躍する両親に全く引けを取らず、アート界期待の星とされている。十七歳の時に突如として体調不良に見舞われ、以降は入院生活を余儀なくされる。少々淡白なところはあるが人当たりの良かった性格は激変し、かつて通っていたアートスクールには『毒舌姫』と非難する輩もいた……」



 すらすらと私の経歴を述べたハルは、私の背後にある絵画に目をやった。

 タイトルは『桜の踊り子』。舞台でプリマを演じた母を観て、私が描いたものだ。五歳だった私は技術も何も知らなくて、湧き上がるイメージをただ画用紙に描き付けて、色を塗っていっただけ。それが公演を観に来ていた画家・美鈴秀(みれいしゅう)の目に留まり、彼のアトリエに案内されることになった。
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