誓いのキスを何度でも
勉強会が終わると、もう20時を過ぎている。
私が慌てて帰り支度をしていると、
ナナコ先輩の旦那様である救命医の尾崎 竜也(たつや)医師、通称『リュウ先生』が目の前に立った。

「子どもたちはうちで先に風呂に入ってメシを食っているそうだよ。」

「ああ、またお邪魔しちゃってるんですねー!
ホントにいつもいつも申し訳ありません。」と腰を90度に曲げて深く頭を下げていると、

「そこは、『ありがとう』でいいだろ。
迷惑だなんて思ってない。
お兄ちゃんの誠太郎がいると、うちの子供たち楽しそうだし。」

「はい!本当にありがとうございます!!」

「ナナコの飯をくう?それとも…
後ろの席で暗ーく果歩ちゃんを見ている、
俺の友人とメシを食う?」とコソッと私の耳のそばで声を出す。

おっと、その内緒話っぽい感じは先輩の夫と言えどもドキドキするんですけど…

「もちろん、先輩の美味しいご飯を食べに…
え?…なんて?」

後ろを振り向くと、放射線科の常盤(ときわ)先生と目が一瞬あったけど、常盤先生はスッと席を立って出て行った。

「り、リュウ先生なんで?」

常盤 真(ときわ しん)は42歳。バツイチ。放射線科の副部長だ。
独身主義で中年の色気があり、細身でスタイルが良く涼しい笑顔と余計なことを言わない寡黙な感じはとても素敵だ。
もちろんものすごくモテるので、シンさんには沢山セックスフレンドがいる。
私もその中のひとり。
私は疲れて煮詰まったとき、時折シンさんと会っていた。


地下のレントゲン室の奥の読影室がシンさんのお城だ。

沢山の女の子たちが吸い込まれていくので、
『ブラックホール』と呼ばれている部屋を知らずに初めて訪ねたのは

出産後、この病院に勤め始め、
転院して来た受け持ちの子どもの資料の読影を頼みに行った時だった。

初めての子育てと忙しい仕事に疲労感漂う私を見かねたのか
あまり頑張り過ぎないように。と頭に手を置かれ、たまには男に甘えてもいいんじゃないの?と言われると思わず涙が頬を滑り落ちた。

気づかないうちにずいぶんと心が疲れていたらしい。

その時、そっと抱き寄せられくちづけされてから関係が始まった。

シンさんは私になにも望まない。


私が行き詰まって疲れて甘えたいとき、シンさんに連絡すると、
シンさんは何も聞かずにただ私を抱いて、甘やかしてくれる。

褒められた関係ではないけれど、
私には必要な関係だった。

『頑張りすぎるな。少しサボっても子どもは愛してくれる』

シンさんは私が欲しい言葉をサラリと口にして
私を甘やかしてくれた。


誰にも知られていないと思っていたのに…

「まあ、俺以外は気付いてないと思うよ。
俺はシンさんとたまに飲んだりするから、気づいただけだし…
もう、ずいぶん会ってないんでしょ。
もう、会えないかもって
結構凹んでたと思うけど。」

「そんな事あの人が言ったんですか?」

「言わないよ。でも、わかる。
果歩ちゃんを見つめる目が苦しそうだから」

「付き合っているという訳では…」

「シンさんもわかってるよ。
だから、見てるだけなんじゃない。
嫌ってないなら、少し会ってやって。
あの人は大切な友達だから、
ちょっとだけ応援。
今晩、誠太郎は預かるから…」

とリュウ先生はヒラヒラと手を振って私から離れて行く。

私が唖然としていると、小児科病棟の若いナースに囲まれて、
「リュウ先生とヒソヒソ何話してたんですか?」と問い詰められる。

「誠太郎にナナコ先輩がご飯を食べさせてくれてるって…」

なあんだ、飲み会のお誘いじゃなかったんですねー
デートのお誘いかと思いましたー。
残念ー。
やっぱリュウ先生はナナコ先輩一筋かあー

などくだらないお喋りに巻き込まれながら
ゆっくり会議室を後にした。
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