幾千夜、花が散るとも
「可南子、なーに急いでんの?」

 夕方5時半の退社時刻になって、一番で更衣室に乗り込んだあたしを追ってきた同じ総務課の1コ上、早瀬みなみ先輩がニンマリと笑った。

「もしかしてオトコ? デート?」

 隣りの自分のロッカーを開け、制服を着替えだしながら少し声を抑えて訊いてくる。他の課の女子社員も続々と入って来たところだ。

「えーとまあ、ハイ」

 モヘアニットの膝丈ワンピースに着替えつつ、あたしも早口でそれだけ返す。ブーツを履き替え手早く化粧直しをして、肩までのボブにふんわり程度のパーマをかけた髪を手櫛で直す。

 コートを着込むと、みなみ先輩に挨拶もそこそこ、更衣室を飛び出してダッシュ。エレベーターもあるけど3階だし、階段使ってエントランスまで駆け降りる。
 自動ドアを抜けて建物の外に出ると。まだまだ冷えた外気に首元がすくんだ。3月も半ばとは言え春はどこまでやって来てるのやら。

 オフィスビル街で駅も近く、会社が入ってるこの8階建てのテナントビルの前も人通りが多い。いつもなら隣りのビルとの境界辺りに立ってるのに。流れる人波を見渡しても千也らしき姿は目に入って来ない。
 スマホをバッグから取り出して確認したけど、特にメッセージも来てない。もうちょっと待ってたら来るでしょ。待ち合わせ場所も時間もいつも通りなんだし。

「あれぇ可南子! カレシまだ?」

 後ろからみなみ先輩の声がして振り返る。先に出てきた手前、ちょっと気まずさを感じながらも笑って誤魔化した。

「ですね」

「いーなぁ、あたしも彼氏のお迎えとかしてもらいたいわぁ」

 大仰な溜め息を吐く彼女がもう2年も同棲してる彼氏は、そういうのは腰が重いタイプらしい。

「でも、ウチだってたまにですよ」

「ウチって言い方、年季入ってんじゃん。やっぱカレシいたんだ、隠さなくてもいーのに」

 拗ねたように口を尖らせた先輩に、何だか面倒くさいなぁと内心で苦笑い。“お兄ちゃん”だってバラすか。そう思ってたら。

「カナ」

 立ち話してたあたし達の方にゆっくり歩み寄って来た人影。フードにファーが付いた黒のハーフコート。細身のパンツにマウンテンブーツ。あたしより長めの茶髪をハーフアップにした長身の男。

「千也」

「ちょっと道混んでた。・・・あ、カナの友達? いつもカナが世話かけてるでしょ、ゴメンネ?」

 目の前に立った千也はあたしの頭を撫でた後、みなみ先輩に向かってニッコリ笑う。
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