幾千夜、花が散るとも
 駅から家に帰る方面の電車に乗った。
 9時台だとやっぱり帰宅途中のサラリーマンが多い。一也は片手を吊革に、もう片方はあたしの腰を抱いて二人で電車に揺られる。

 身長が156cmしかないあたしの頭の天辺が、ちょうど一也の口許くらい。・・・千也だと顎下ぐらい。停発車する時の反動でよろめきそうになるたび、抱き寄せられてあたしの髪に熱の籠もった吐息がくぐもる。
 そう言えば一也と会社帰りが一緒なんて初めてだなぁ。なんか不思議。そっと見上げると、一也もあたしを見てて。自然と一瞬、唇が重なった。

「降りるよ」

 手を引かれ降り立ったのは、うちの最寄り駅より二つ手前の駅。特に何があるワケでもない。駅前は銀行とかクリニックとか飲食店だとか、普通に拓けた街。ロータリーを抜け賑やかな通りを少し歩いて、雑居ビル街の路地を曲がる。その一画の建物に一也は躊躇なく入ってく。

 案内表示もないエントランスは床が大理石調で、リゾートチックな観葉植物がセンス良く配置されてた。ここが何なのか全く、想像が結びつかないまま一也に手を引かれ。パネルの前まで来てあたしは息を呑み、立ち竦んだ。
 一也は全く動じもせずに部屋を選ぶと、動揺のあまり逃げることすら出来ないあたしの腕を掴んでエレベーターに乗り込む。

「・・・一也なんで・・・?」

 小さな密室の中で、あたしの声は情けなく震えてたと思う。でも一也は。

「黙ってついてきて可南」

 感情も見えない声でそう言っただけだった。 





 部屋に入って。ここがどこかを一也に問う気力も無かったし、訊くまでもないことだった。
 大きなベッドにガラス張りのバスルーム。窓のないダウンライトだけのエレガントなファッションホテルの一室。
 
「・・・可南」

 入り口に立ち尽くしたまま呆然となってる前に立ち、あたしを抱き締めた一也の。腕の中で、もうどうしていいか分からなかった。


 一也を振りほどいて逃げたら。どうなるの。

 逃げなかったら。どうなるの。

 千也。

 あたしは・・・どうしたら。いいの。
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