幾千夜、花が散るとも
 時間の感覚も無くなって、あたしは寝てるのか起きてるのかさえ自分で分からなくなってた。お腹も空かないしトイレも行きたくない。ただ・・・喉が渇いて。一也に差し出されたスポーツ飲料をストローで飲み込んだ記憶はある。

 いつの間にかベッドに横たわってて、一也の手がずっとあたしの頭を撫でてる。気がする。

「・・・可南」

 声は聴こえてる。でも返事する力も無い。

「聴いて。・・・ネットやSNSで俺が情報を集めてみる。興信所や探偵に依頼する手もまだある。絶対に諦めないから可南も諦めるな。お腹の子を何がなんでも無事に産んで、千也に逢わせてやるんだろ?」

 千也とあたしの・・・子。ゆるゆると伸ばした手を膨らんだお腹に当てる。ああ・・・そうだ。ここに、この子がいるんだ・・・・・・。ただ生まれて来る為に・・・この子はあたしに栄養もらって育とうとしてるんだ・・・。

 エコーの写真をぼんやり思い出す。小さくたってもうちゃんと赤ちゃんだ。あたしが頑張らないとこの子も死んじゃうんだ。

 だめ。それだけはだめ・・・。千也があんなに喜んでくれた子なんだから。あんなに楽しみに待っててくれたんだから。産んであげなきゃいけないの・・・あたしが。あたししかできないの。

 千也のためにも。

「・・・一也」

 あたしは掠れ声で呼んだ。やっと自分を取り戻して。躰の奥から細く長い息を吐き出す。真っ暗な悲しみを少しでも外に逃すように。

「・・・あたし、どのくらい食べてない?」

 ベッドの端に座ってあたしを見下ろす一也の眼の下は青黒い隈(くま)が縁取り、疲れの滲んだ顔をしてた。

「まともに食べてないのは昨日の夜から・・・だな」

「・・・・・・赤ちゃんお腹空かせてるね」

 言いながら躰を起こそうとすると一也が手を貸して抱き起してくれる。

「・・・一也も寝てないね。・・・ごめん」

「俺は大丈夫。このぐらいどうってことない」

「・・・いま何時?」

 閉め切ったネイビーブルーのカーテンの隙間から差し込む光り。明るい。ここが一也の部屋だったことも初めて気付く。 

「朝の8時」

 壁の方を見やって一也が教えてくれた。あたしは抱き止めてくれてる肩にもたれかかるようにして、もう一度長い息を吐き。

「とりあえず一緒にお風呂入ろ・・・? なんか食べて・・・それから考える」

「・・・そうだな」

 頭の天辺にそっと口付けられた時。・・・千也も良くそうしてくれたのを思い出して。涙が込み上げそうだったのをあたしは必死で堪えてた。

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