Dear Hero
それから、どうやって家に帰ったのかは覚えてない。
気づいたら玄関に入っていて、リビングから姉ちゃんが出てきていた。

「おかえり、早かったじゃない。あれ、依ちゃんは?」


ごく自然な問いなのに、胸が苦しくなって黙って横を通り抜ける。
階段を上がって自分の部屋に入ると、ベッドに倒れ込んだ。
確かにこのベッドにいたはずなのに、依の香りは少しも残っていなかった。


どうしようもない不安と怖さで、胸が押し潰されそうになる。
でも、どうしていいのかわからなくてもっと苦しくなる。
少しでもこの不安を取り除きたくて、ポケットから携帯を取り出すとメールを一つ送った。


[依の母親が帰ってきました]



10分も経たないうちに着信が鳴る。
画面には“中野 樹”の表示。
自分で送っておいたくせに、怖くて出られなかった。
これ以上、何かを知るのが怖かった。





…いや、大丈夫。依は帰ってくる。考えすぎだな。
確かにな、久しぶりに会った実の母親だ。
束の間のひと時を楽しんでいるんだ。
用事が終われば帰ってくるさ。
紅茶の店は今日は行けなかったけど、来週、改めて出直そう。
遅くなるかな?そしたら迎えに行かなきゃ。

どれくらいぼーっと天井を見ていただろうか。
放っておくとどんどん悪い方向へ考えてしまう思考を無理やり切り替えた。


そうだ、依にもメールしておこう。


[落ち着いたらでいいから、連絡待ってる]


伝えたい事はたくさんあるけれど、何度も文を打っては消してまた打ち直して、結局これだけしか送る事が出来なかった。
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