Dear Hero
「……っ」


急いで着ていたコートを羽織らせた。
こんなの、ちっとも依じゃない。
だって、姉ちゃんの着せ替えでこんな服着せられて、真っ赤な顔して「澤北くんは見ちゃだめ…!」なんて恥ずかしがってたじゃんかよ。


「……依!お前目を覚ませって!こんなのおかしいよ!」

肩を掴んで呼びかけるも、依の瞳には俺なんか映っていないように見えた。
確かに目の前に依はいるのに、俺の知らない人のようだった。


「…ちょっと、目を覚ませなんて失礼ね」

俺を引き離しコートを投げ返すと、依を立たせて後ろから抱き締めた。
長い爪が当たらないように指でそっと依の輪郭をなぞっていく。


「依のこのカラダは武器よ。女の武器になるの。それを活かして何が悪いの?」





蜘蛛の巣に掛かった蝶のようだと思った。
一度掛かったら逃げられない。
全部、蜘蛛のものなんだ。



「やだ……まるで悪役を憎むヒーローみたいな顔」


依から離れると、俺に近づき耳元で囁く。


「あの子、まだ男を知らないんですって?随分プラトニックな関係だこと」
「……っ」


ぞっとして、にやりと笑う女からとっさに距離をとる。
ヒーロー番組の敵ボスだって、こんな恐ろしさはない。
言いようのない恐怖感が体を包む。




「あぁそうだ。キミ、樹と繋がってるんだって?ちょっと頼まれて欲しいんだけど」
「……?」
「依の生活費を振り込んでる口座があるんだけど、樹が持ってるみたいなのよね。それ、もらって来てくれないかな」
「……何でですか?」
「生活していく為に決まってるじゃない。そのつもりで帰ってきたんだもの」
「……その割には、ずいぶん羽振りがいいみたいですけど」

女の来ている服、依の来ている服、リビングのものやテレビだってこの数日で変えた物のはずだ。


「依が出してくれたわよ」
「……」
「ずっと貯金してたんですって。さすが依ね」
「………っ!」





『海外に行きたいんです。両親に、会いに』

『絶対に、自分で稼いだお金で行くって決めてるんです』





「……っそれは!あんたが使っていい物じゃない!」


女の胸倉を掴むとソファに押し付けた。


それは、依が夢に向かって一生懸命貯めた、大事な大事な物だ。



「依の努力を…そんな簡単に終わらせんなよ!」
「ちょっと…離しなさいよ。依は私の為に貯めたって言ったのよ」
「そうかもしれないけど…でも、こんな事のために使う物じゃない!」
「離しなさい。警察呼ぶわよ」
「呼べばいいだろ!俺はあんたを許さない!!」
「依」

名前を呼ばれた依が、すっと俺たちの間に入ってくる。
女を助けるかのように俺を押し、距離をつくる。


「………っ」


視線の定まらない瞳には、もちろん俺は入っていない。
ただ、母親を護っただけだ。



「帰りなさい」
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