Dear Hero
「シャワー、ありがと」

リビングに入ると、濡れた髪をまとめて部屋着に着替えた水嶋がいた。
家に帰って気が抜けているのか、眼鏡もしていなくて学校にいる時や今日の私服姿とは逆に、なんだかいつもより幼い。
どうぞ、とスペースを空けてくれたソファに座る。
テーブルの上には、淹れてくれたであろう温かいお茶。

「服、小さくないですか?」
「ううん、ちょうどいいよ。お借りしてマス」
「よかったです。雨は…まだ止みそうにないですね」



———ねぇ、これは誰の服?
その一つも聞けずに、雨が降り続く窓の外を一緒に見る。


「…今日も、親は帰り遅いの?」
「そうですね。今日も明日も明後日も…」
「そんなに忙しいの?」
「……違いますね。遅いんじゃなくて、帰って来ないんです。もう何年も」

思いがけない言葉にはっと水嶋を見ると、寂しそうに笑う。

「私が小学生の時に、仕事を理由に二人とも海外に行ってしまったんです。それからずっと帰ってきていません」
「一人暮らし?」
「そうですね。前も言いましたけど、叔父が近くにいてたまにうちにも来てくれるので」
「あ、じゃあこの服も?」
「はい、叔父のです」
「よかった…援交相手のとかじゃねえんだ……」
「………」


思わずこぼしてしまった言葉に、一瞬ピクリと反応したのに気付く。

「澤北くんは……私がそういう事しているって思いますか?」
「いや、俺がっていうか…そういう噂を聞いただけで…」

少しだけ哀しそうな表情をすると、目を伏せる水嶋。

「よく言われるんです」

なんで笑うんだよ。
なんで…すぐに“そんなの嘘だよな”って言えないんだよ、俺……

「大丈夫ですよ、慣れているので」
「否定は…しないのか?」
「そう思われてしまうような事をしていたから…ですかね」


湯気の立つお茶をふぅと冷ましながら、コクリと飲む水嶋。
どこか遠くを見ているようにみえる。
一体、何をしていたと言うのだろうか。


「…過去は、変えられないですから」


…だとしてもだ。
きっと、昔から同じような事言われ続けてたんだろうな。


「でも、してないんだろ?」
「……」
「俺は、お前がそんな事する奴だとは思わないけど」
「……」
「よく考えたらさ、こんなにクソ真面目でコミュニケーション下手で人を頼る事すらできなかった奴がそんな事できるわけないよな」
「喜んでいいのか貶されているのかわかりません…」
「褒めてるつもりだけど?」

拗ねたようにぷいっと顔を背けるものの、その口元はだんだんと笑みの形に変わっていく。

「…自分をよく知らない人に根も葉もない噂を立てられるのは悲しい事ですが、たとえ一人でもそれは違うと信じてくれる人がいるという事は、すごく幸せですね」


俺からしたら、なんて事はない些細な一言。
それでも、そんな一言で誰かが笑顔になれるのなら。
それは俺にとっても夢に近づく小さな幸せなんだって。
日に日に増えていく水嶋の笑顔が教えてくれる。
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