Dear Hero
「あの…今さらですが、本当にいいのでしょうか…。昼食のみならずお夜食までいただいてしまって…」

昼食の素麺を食べ終えて俺の部屋に移動した水嶋は、隅っこの方で小さくなっている。
遠慮しすぎだっつーの。

「そのつもりで来たんでしょーが。5人も6人も変わらんよ」
「澤北くんが支度するわけでもないのに…」
「……それに。そのお返しに教えてくれるんでしょ」

話題を変えるように、手に持ってヒラヒラさせるのは夏休みの課題である英語のノート。
交換条件として水嶋の得意な英語を教えてもらう約束をしていたんだ。
水嶋の事だから、自分だけ与えてもらってばかりじゃ絶対に断ると思ったから。


エアコンなんて贅沢品を与えられていない俺の部屋には、扇風機にがんばってもらうしかない。
窓を開けていても時折そよそよと風が入ってくるだけで気温は高く、決して快適な空間ではない中、やはり暑いのか、水嶋は長い髪を後ろで束ねる。
水嶋の家では何度も見ているはずなのに、チラリとのぞくうなじに思わず目がいってしまう。

「悪い。…暑い?」
「……本当は少しだけ。でもクーラーの風は苦手なので、大丈夫です。扇風機の風は好きですよ」

気を遣わせないような言い方をするのは、もう水嶋の癖なんだと思う。


暑さでほんのり紅くなった頬。
扇風機の風で時折揺れるポニーテールのさらさらの髪。
小さなテーブル越しにいつもより少しだけ近く目の前に座る彼女。
二人だけの部屋。

俺の部屋に水嶋がいる。
自分で作り出したシチュエーションのはずなのに、ドキドキして堪らないのはなぜだろう…?


「さぁ、始めましょうか」


鈴のような水嶋の声で紡がれる英語は、授業で聞いている物とは比べ物にならないくらいすっと耳に入ってくる。
英語は詳しくないけど、きっといい発音なんだろうな。
もはや水嶋自身が辞書なんじゃないの?と思うくらいに、わからない単語はすぐに教えてくれる。
文法には教科書みたいなカチカチな文ではなくて、日常会話に使えそうな例文を考えてくれるから、使い方がイメージしやすくて。

苦手な英語のはずなのに、ちょっとだけ、好きになれるかもしれない。
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