Dear Hero
「…っ!」

びくりと身体が揺れ、瞬間的に引っ込められたその小さな手。
「ごめんなさ…」とこちらを振り向いた水嶋と再び目が合う。

踏み台に乗っている事で少しだけ高くなった身長。
いつもは見下ろしているその顔が、すぐ目の前にある。
こんなに間近で彼女の顔を見たのは初めてかもしれない。

短くなった前髪から覗く、くりっとした瞳。
紅く染まった頬。今は顔全体が、だけど。
ちょっとだけ首筋に残されたふわりとした髪は少しだけ色っぽい。
花のような甘い香りが惑わせる。
そして、ほんのりピンク色に染まる唇。
濡れたように潤い、やわらかそうで……



キス、したい———



突然湧いて出てきた欲。
いや、本当はずっとそうしたかったんじゃないのか?



本棚についていた腕を彼女の顔の横へそっと移動する。
逃げられないように。


「さわ……きた…くん……」


視線すらも絡み取って放さない。
掠れそうな声で紡がれる名前が、一段と俺を高めさせる。
ゆっくりと近づく水嶋の顔。


「ぁ……」


少しだけ開かれた唇に触れ……





カチャリ。



「………っ!!」


突然部屋の外から聞こえた音に、はっと我に返り勢いよく体を引き離す。
その衝撃のせいか、踏み台の上でバランスを崩す水嶋。


「きゃ……」
「あぶな……っ!」


咄嗟に彼女を抱きかかえるも、俺の方へと落ちてきた身体を受け止める事が出来ず、二人共々床へと倒れ込む。

「……っい!」


走る衝撃と痛み。
打ちつけた背中の柔らかい感触から、下に引いてあるカーペットで大分と衝撃が吸収されたのだとわかる。
とはいえ、痛いものは痛い。

「い…って…」
「澤北くん…!ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

呼びかけられた声に、瞑っていた目を開くと、俺に覆い被さり心配そうに覗きこむ水嶋の姿。
ちょ、俺押し倒されてるみたいじゃん…!
なんて、心のツッコミを入れる余裕はあるみたいだ。

「だ、だいじょうぶ…。お前は?ケガない?」
「私は全然…っ」
「それならよかった」

泣き出しそうな水嶋をなだめつつ起き上がりかけたところで、部屋の外からドタドタドタと騒がしい音が聞こえたと同時に、書斎のドアが勢いよく開かれた。

「依!?今の音なんだ!大丈夫か!?」



血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、スーツ姿の若い男。
突然の事でフリーズしたままの俺と目が合う。
俺の上には、泣きそうな顔の水嶋が乗ったまま。


「おま……っ!おいお前、依に何をしたああぁぁ!!!」
「ちょ…!待っ……」
「樹くん!!!」


だ…
誰―――!!??
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