Dear Hero
「なんか…ごめん…」
「どうして澤北くんが謝るんですか?」

夜道に自転車を押すカラカラという音だけが響き渡る中で、眉根を下げた水嶋が小さく笑った。

「なんか、母さんすげー事言い出すし…俺も初めて聞いてびっくりしたし…」
「私もです。とてもびっくりしました」
「……」


このとんでもない提案を、水嶋はどのように受け取ったのだろう。
水嶋を救い出す光となるのか、新たな気遣いを生み出す悩みの種となるのか。
いつになく口数が少ない水嶋に、俺は何の言葉をかける事もできないでいた。


「……澤北くんは先ほどのお話、どう思いましたか?」
「俺、は…びっくりしたってのが一番だけど、悪い話じゃないんじゃないか、とは思うよ」
「……」
「確かにな、うち常に家に誰か人がいるから一人になる事はそうないしな。むしろウルサイから一人にしてくれって思うくらい…」

冗談ぽく言ったつもりだったけど、しまった、これは言うべき言葉ではなかったと語尾は濁したが、水嶋の反応はなかった。

「これは、あくまでも俺の意見だけど。俺はいいと思うけどな。一人のマンションにいられるより、ずっと安心できる」

この理由には嘘偽りはない。本音だ。

「その…や、やましい事考えてるとかじゃねぇから…」
「……ふふっ」

一応、紳士らしいとこを見せたくて付け加えた言葉に、やっと水嶋は笑ってくれた。
こんな些細な事でも俺は嬉しくなってしまう。

「本当ですか?」
「も、もちろん……」

嘘は1%もありません、とは堂々と言えなくてあさっての方向に目が泳ぐ俺に、水嶋はくすくす笑ったままだ。
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