秋の月は日々戯れに
恥ずかしそうにそう言って、なぜか近づいてきた彼女が顔を寄せる。
唇に、柔らかくて温かいものが触れた。
「早く顔を洗って来てください」
恥ずかしさを紛らわすように早口でそう言って、彼女はパタパタとキッチンスペースに戻っていく。
その背中を見つめたまま、彼はそっと自分の唇に触れた。
一瞬だけだったけれど、触れたものは確かに、温かかった。
トースターからパンを取り出している背中を、またジッと見つめる。
「あちっ!」と言いながら、彼女はパンを皿に移す。
確かにその手は、パンに触っていた。
膝下丈のスカートからスラリと伸びた足で、しっかりと床を踏んで歩いてくる。
足音がする、気配もある。
なにより――そこには確かに、生気があった。
本来ならば彼女にはないはずの、その温かさ。
違和感の正体に彼が気づいた時、視界がゆっくりと暗転した。
ゆっくりゆっくりと暗くなって、見える範囲が狭まって、見慣れた自分の部屋も、美味しそうな朝食も、全てが暗闇に塗りつぶされて消えていく。
咄嗟に声を出すと、彼女が振り返って不思議そうに首を傾げた。
けれどその表情はすぐに、笑顔へと戻る。