秋の月は日々戯れに

特に欲しい物があるわけでもないらしく、流し見する勢いで歩いていた同僚は、突然ハッと息を吸い込んで足を止めた。

「見てこれ!」と同僚が指差す先には、驚く程安い刺身の盛り合わせがあった。


「これはやばいね。お買い得だね」

「買うのか?」


「いいや」と首を横に振った同僚は、驚きを共有できたことで満足したのか、さっさと止めていた足を前に進める。

その後も同僚は、とんでもなくお高い国産霜降り牛の前でまたしても足を止めて彼を呼んだり、すれ違った幼稚園児が可愛いと頬を緩ませたり、最近の冷凍食品は凄いと絶賛して幾つかカゴに入れたりしながら、店の中を一通り歩き回る。


「いやあ……あたしにもあんな時代があった」


かしましくお喋りしながら通り過ぎて行く制服姿の女の子達を見送った同僚の言葉に「なんか、発言が年寄りくさいな」と返したら、渾身の力で二の腕を殴られた。


「さてと……」


ようやく買い物を終えて店を出たところで、同僚が突然がっしりと彼の腕を掴む。


「……え?」


“それじゃあ”と言って帰ろうとしていた彼は、開いた口から疑問符混じりの声を漏らして、自分の腕を掴んでいる同僚を見つめた。
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