秋の月は日々戯れに


「あっ、先輩!」


後輩を置いてきぼりにズンズン、ズンズン。

周りを見れば、右にも左にも立派な門扉とやたらおしゃれな表札、それに綺麗に手入れされた庭があるので、それらを視界に映さないようにただ前だけを見て。


「せんぱーい!ちょっと待ってくださいよ」


後ろから聞こえてくる後輩の声にも足を止めることなく、ただひたすら前に向かって進んでいく。

そしてふと思った、“もうすぐそこ”とは、どれくらいすぐそこなのか――。

彼が僅かに歩調を緩めると、その隙に後輩が「先輩、歩くの速いっすよ……」と追いついてくる。


「どこまで行っちゃうのかと思ったっす。家、ここなんで」


後輩が指差した先を視線で追いかけて、彼はそのまましばらく固まった。

視界に映った十一階建てマンションは、彼が思っていたものよりもっとずっと立派で、やっぱり自分のアパートとは比べるべくもなくて


「……ちょっとこっち」


マンションを眺めたまま後輩を手招いた彼は、不思議そうな顔で近寄ってきた後輩の脳天に、本日三度目になる手刀をお見舞いした。


「いった!えっ、なんで!?」


理不尽であることは大いに分かっている。

分かっているけれど、どうしてもやらずにはいられなかった。



.
< 338 / 399 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop