お見合い愛執婚~俺様御曹司に甘くとらわれました~
「今、ちょっとよろしいですか?」
「う、うん」
時計を見ると、まだ昼休みが終わるまで十五分ほど時間がある。
私はコーヒーの入ったマグを置くと席から立った。
ありさから滲み出る不機嫌オーラに厄介事でしかないと思ってはいるが、同僚として無視するわけにもいかない。
ただでさえ、私はこの前ありさに平手打ちをしかけたのだ。
周囲も私たちがオフィスから出ていく様を遠巻きに見守っている。
これはまた噂が立つな。
どうにも人の口には戸は立てられないというのは、この前の達彦たちの会話で思い知った。
今度はつかみ合って殴り合いをしたとでも流れそうだと思うと頭が痛くなってくる。
一階上の会議室が並ぶ人気がない廊下で立ち止まった。
くるりとこちらに身を翻すありさ。
どんな口撃が来るのかと身構えた。
「達彦に怒られました」
「……はい?」
予想とは大きく外れた展開に私は思わず身を乗り出してしまった。
間抜け顔の私にありさは壁に凭れかかって足元を見つける。
「藤野さんに嫌がらせするな。『お前は俺を好きじゃなくて桜子を負かしたいだけだろ』って。まぁ最初はそうだったんですけどね。でも、さすがにそれだけで婚約まではしません」
顔を上げたありさはいつもの高慢な彼女ではなく、どこか澄んだ瞳で真っすぐ私を見つめてくる。
「私、あなたが嫌いでした。あなたは常に冷静で聡明で、私がいくら努力しても敵いませんでした。周囲は社長の娘である私にこびへつらっても、あなたは私に常に『平等』でした。それが余裕に見えて、私はさらに敵わないと思いました。私があなたの才能と毅然とした性格に羨むことはあっても、あなたは私を羨むことはなかった」
「そ、そんなことないわよ」
ありさの言葉に思いっきり首を横に振る。
「私、見た目は冷静に見られるけど、ミスったら頭の中真っ白になってるだけだし!あなたのことも羨ましく思うこともあったわ。私はあなたみたいに華やかなオーラがないし、モテないし。……この間は本気でぶっ叩こうとしたし」
我を忘れてありさに手を挙げかけた時を思い出す。
あの時の黒い、濁った感情はとても彼女の評価に値する人間が持つものではない。
ありさが本当にそう思っていたのだとしたら、買い被りにすぎない。