今宵、エリート将校とかりそめの契りを
「先代、先々代の頃なら、早乙女の家名だけで、縁組もまだ意味がありましたが、今この娘を娶ったところで、名取家にはなんの恩恵もありません。廃れていくだけの没落華族の娘を妻になど……大旦那様が、なんと言われるか……」


血迷ったとしか思えない主人の宣言に、忠臣は動揺を隠せずに目を白黒させる。


「夫婦縁組による恩恵など、名取には必要ない。元より、命を狙われた俺自身が下す罰だ。父や母に四の五の言われる筋合いはない」


総士は表情も変えずに言いのけ、ふんと鼻を鳴らした。


「ですが、総士様」

「俺にとっても利点はあるぞ、忠臣。形だけでも既婚者になってしまえば、方々から持ち込まれるうるさい縁談話に耳を貸す必要もなくなる」

「しかし……陸軍中尉・名取総士の妻ですぞ。宮家の内親王様からも、婿入りの打診を受けているというのに……暗殺未遂を犯した女になんと寛大な。屈辱どころか、願ってもいない幸せではないですか。これではなんの罰にも……」

「この上ない罰だと思うが? この娘は家族の仇と叫んで俺に襲いかかってきたんだ。仇の妻にされるのは、これ以上ない屈辱だろう?」


淀みなく朗々と説明する総士に、忠臣もグッと口ごもる。
それを見て、総士は、ずっと惚けている琴の顔を覗き込んだ。


「っ……」


焦点がぼやけ、なにも捉えていなかった琴の視界に、総士が突然映り込む。
< 30 / 202 >

この作品をシェア

pagetop