今宵、エリート将校とかりそめの契りを
小言を始める忠臣にうんざりした気分で、総士は軍部に向かう車の窓の外を眺めた。
ぼんやりと昨夜のことを思い描きながら、そっと目を閉じる。


昨夜、総士は琴への警戒を解いたわけではない。
琴が一日食事をしていないと聞いて、無理はさせたくないと思った。
純粋に、琴を眠らせたかった。
それだけだ。


しかし、それが油断と言えることを自覚する。
忠臣の苦言も、もっともだ。


『憐れんでるの?』


総士の瞼の裏に、網膜に焼きついた琴の姿が浮かび上がる。
少し手に力を込めれば大願が果たせる状況にあったのに、彼女は涙を流すだけで、その手に力を込めようとはしなかった。


(憐れんでなどいない。現にあの時、俺の命は琴の手中にあった)


心の中で呟くと同時に、総士は無意識に自分の首元を摩った。


一瞬、本当に呼吸ができなかった。
咄嗟に『しまった』と思い、琴が本気なら致し方ないと腹も括った。
むしろ、あの状況下、哀れなのは自分の方だ。
だと言うのに……。


(土壇場になって人を殺めることに怖気づいた……わけもないか)


パレードの最中、あれだけの見物人の前で総士に刃を振ったのだ。
彼女を捕えた警官に向けた、凛とした声も瞳も本物だった。


「……せっかくの好機だというのに、泣く意味もわからん」


総士はポツリと呟き、そっと目を開けた。
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