今宵、エリート将校とかりそめの契りを
「はい。おばさま、ありがとうございます」


わずかに涙が滲む目尻を指先で拭い、琴は反物の方に足を運んだ。


黒地に金刺繍の反物は、引き振り袖と打掛用に二種類。
赤と白の打掛と、白無垢の生地も必要だ。
美しい生地を手に取り、琴の心も浮き立つ。
女主人に助言してもらいながら、琴は数点の反物を選んだ。


琴の身体にメジャーを巻いて採寸する女主人の横で、佐和子がコソッと耳打ちしてきた。


「琴。これが済んだら、少しだけでいいから庭に出られない?」


両腕を横に広げ、胸囲と胴囲を測ってもらっていた琴が、肩越しに佐和子を見遣った。
琴の正面に立つ女主人にも会話は聞こえる距離だが、彼女は目を伏せ目盛りを読んでいる。


佐和子は母を気にする様子はない。
彼女が横目で探るのは、サロンのドア口、その向こうの廊下にいる女中頭だけのようだ。


「門の外で、兄様が待ってるの」


佐和子がさらに声をひそめる。


「っ……正一さんが……?」


一瞬息をのんでから、琴は目を見開き、その名を口にした。
それを、佐和子が「しっ」と短く制する。


「兄様、琴の結婚を聞いて驚いて。それでもどうしても会いたいって」


佐和子が早口で言う途中から、琴は窓の向こうの庭に視線を向けていた。
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