やく束は守もります
竜也の側に転がっていたリモコンを奪うと、香月は最初の場面まで戻した。

「あ!観てたのに!」

竜也の抗議なんて耳より手前で聞き流す。
兄妹でチャンネルを争ったことなどない。
いつもどちらか、たいていは香月が「別に観たいのないからいいよ」と譲っていたからだ。
だから、香月のこんな遠慮のない様子に、竜也は驚いていた。

番組の始まりまで巻き戻す。
解説者の紹介があり、対局者のインタビューがある。
そして女流棋士がルールを説明する。

『振り駒の結果、先手が折笠五段に決まりました。持ち時間はそれぞれ10分。それを使い切りますと一手30秒未満で指していただきます。但し、秒読みに入りましてから1分単位で、合計10回の考慮時間がございます』

『三段 梨田史彦』

説明の間、約5秒ほどそのテロップは出ていた。
確認した香月は、驚きで顔を紅潮させる。

「━━━━━全然『男爵』じゃない」

地デジになって映像がクリアになったと言われるのに、画面越しの姿に懐かしさは感じない。
竜也の存在も忘れて、何度も巻き戻して見るけれど、それは香月の知っている梨田とは別人のように見えた。
容姿の変化だけでなく、顔色の悪さや目の下の深いクマが、その面影さえ奪っている。

「梨田って・・・。え!まさか?」

竜也の声はもう聞こえていなかった。
どんなに面差しが変わっても、これがあの梨田であることを、本当は名前を確認するまでもなく確信していた。

『20秒ー、1、2、3、4、5、6、7、』

頭の芯まで声が響く。
ずいぶん低くなっていても、それは確かに、いつかの、あのやわらかさは残していて。
香月の奥に淀んでいた何かを霧散させていった。




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