やく束は守もります

梨田は、香月と自分が優勝を争うのだと思っていた。
そこで勝って雪辱を晴らすつもりだった。
それなのに。

勇んで向かったはずの梨田の目の前には、きれいに詰んだ盤面が広がっていた。
一手詰み。
駒の動かし方を覚えた人なら、すぐにでも詰ませそうなほど、わかりやすい投了の局面だった。

負けはわかっていたのに、ここまで粘っているのは、どうしても負けを認められないだけ。
相手の少年は、容赦なく持ち駒の金を叩きつける。

梨田の喉の奥からぐうううっといううめき声が聞こえ、けれど本人はそれを自覚していない。

もう一手だって指す手はない。
投了するか、時間切れで負けるかの二つしか選択肢はなかった。

梨田は素早く何度か呼吸する。
涙がすぐそこまで迫っていて、深い呼吸にならないのだ。
それでも落ち着いてはっきりと、投了を告げたつもりだった。

「負━━━━━」

こみ上げる嗚咽が鼻に抜けて言葉にならなかった。
頭を下げたせいで、たまっていた涙が机の上に落ちる。

油断以外何ものでもない。
楽に勝てると思った相手をバカにして臨んだ結果、敗退してしまった。
そしてそれを香月に見られていた。

そもそもトーナメントの組み合わせ上、香月とは準決勝で当たることになっていた。
お互い順当に勝ち上がった場合、香月と梨田、勝った方が決勝に進むことになる。

それでも事実上の決勝は自分たちだと思って梨田は対局に臨み、あっさり1回戦の相手に負けてしまった。
何度か顔を見たことはあったけれど、相手にもしていない子に。

だけど負けた。
自玉の詰みをうっかり見逃して。
負けたことよりも、そのことが恥ずかしくて、香月の顔を見られなかった。

感想戦どころではなくて、鼻と口を押さえるようにしてトイレに駆け込む。
対局を待つ香月が視線を向けてきたことはわかっていたけれど、身体ごと避けて逃げた。


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